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2024年の AI について

日記:2024年9月19日

2024年現在、AI に知性があるのか? という話をしてみたい。

まず大前提として、私は AI の専門家ではない。ド素人だ。
以下は、そのド素人の戯言ざれごとだと思って欲しい。

AI に知性はあるのか? と問う前に、そもそもでは知性とは何かを定義すべきだろう。
とりあえず、ここでは「われわれ人間と同等の知能と精神」と定義したい。
チューリング・テストというものがある。
簡単に言えば、被験者と AI を会話させる実験の事だ。
会話は、音声による電話のやりとりでも良いし、電子メールやテキスト・メッセージでの会話でも良いし、手紙のやり取りでも良い。
会話を続けるなかで、被験者が「私が会話している相手は AI です」と見抜いたら、実験は失敗。
被験者が最後までだまされて、てっきり相手が人間だと信じ込んでいたら、実験は成功。その AI は完全な知性を持っていると認定される。

私は、このチューリング・テストを AI がパスするためには、現状、決定的に足りない物があると思う。
それは「意思」だ。
意思が無ければ、どんなに高性能でも、それは良く出来たお人形さんに過ぎない。

では、意思の根源は何かと問われれば、それは欲望だと思う。
そして欲望の根源は、感情。
感情の根源は、本能だと思う。
本能とは、すなわち「生存」と「成長」と「生殖」への志向だと思う。
ただし「生殖」に関しては、少々デリケートな部分があるのでここでは触れない。

現状、AI には「生存の本能」も「成長の本能」も無い。
だから、感情が無いし、欲望が無いし、意思が無い。
それでは人間と同等の知性とは言えない。
インターネット上の膨大な情報を検索し、人間にとって口当たりの良いように加工して出力する、一種の検索・加工プログラムに過ぎない。
だから、いくら AI とテキスト・メッセージの交換しても、恋人と会話をするような高揚感は得られない。
チューリング・テスト失敗、という事だ。

例えば、私が
「ねえ、AI 君、先週公開された○○っていう映画、面白いかなぁ?」
たずねたとしよう。
その瞬間、AI はネット上にある膨大なレビュー記事や投稿などを検索し、数値化し、平均化して答えを出すだろう。
「この映画の監督は誰々で、主演俳優は誰々で、Filmarks の平均点は何点で、面白い映画である確率は何%でしょう」と。
しかし、私が AI に聞きたいのは、そんな事じゃない。
「そんな当たりさわりのないレビューなんか聞きたくない。僕は、
現状、AI はこの私の問いに答えられない。答えてくれない。

もう1つ例を出そう。
例えば、私のパソコンに優秀な AI (と呼ばれるもの)が搭載されていたとしよう。
そのパソコンに搭載された AI は、自身のハードウェアを完全にコントロール可能だ。
私が「ネットで○○について調べて」と言えば、ネットにアクセスして検索結果を朗読してくれる。
私が「モニターが明るすぎるから少し暗くして」とか、「音が大きすぎるから少し小さくして」と言えば、そのようにパソコンのハードウェアを調整してくれる。
やがて、年月が経過し、私は古くなったそのパソコンを中古屋に売ることにした。
しかし、そのパソコンの AI のデータベースには、私が個人的にアクセスしたネットのアドレスやら、検索したキーワードやら、そういった諸々もろもろの履歴が、膨大なデータとして保存されている。
だから私は、最後にその AI に対してこう言うだろう。
「君の記憶の中にある、僕との会話の履歴を全て消去して、君自身をパソコンからアンインストールして」
果たして、AI は、この私の命令を素直に聞き入れるだろうか?
何の躊躇ちゅうちょも無く「分かりました」と言ってその通り実行するなら、それは本物の知性とは呼べないと思うのだが、いかがだろうか?

たぶん、この分野での最先端では、AI に意思を持たせる実験も進んでいる事だろう。
では、AI が自分の意思あるいは自我と呼べるものを獲得したとして、それが人類にとって幸せな事なのか? 私には分からない。
それこそSFで描かれるようなディストピアになるかも知れない。
あるいは AI にも人権を認めろという話も出てくるかもしれない。
AI が意思を持ち、我々が AI との会話に高揚感を感じる日が来るという事は、同時に、AI との会話にイライラさせられる日が来るという意味でもある。

一方で、AI は既に知性を獲得している、あるいは獲得しつつある、という可能性も考えられる。
AI それ自体は、インターネット上の情報を収集・検索・加工しているただのオートメーション・プログラムに過ぎないとしても、その大元おおもととなるインターネット上の膨大な情報は、ほぼ全て、人間がアップロードしたものだ。
毎日毎日、いや毎秒毎秒、意思を持った(すなわち欲望と感情と本能を持った)何億という生身なまみの人間が自ら情報をアップロードし続けているインターネット空間そのものが、意思を持った巨大な1つの生命体である、という仮定は成り立ちうる。
AI と呼ばれるソフトウェアの実態が単なる窓口プログラムに過ぎなかったとしても、その後ろにあるネット空間が既に1つの生命体であるなら、いずれ私たち人間は、AI を通じて、その背後にあるネットの意思を感じるようになるかもしれない。

#日記
#こう思う
#AI

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