ジェンダーレスお嫁さんになるの!


何気なく白饅頭さんのnoteにコメントしたら反応をいただけたので長文で書いてみる。
ただし、私はジェンダーやらフェミニズムを一般教養のレベルとアンチフェミ側からしか学んでないのでジェンダー系の人が読んだら「今更何言ってんねん」と思うところありかも。

「男女平等のふりした女性優遇の元でのお嫁さんになりたい」とは一言で言えばつまり薄桜鬼の千鶴ちゃんである。

知らない人のためにかいつまんで説明しておくと、「オトメイト」というのは乙女ゲーの超有名会社であり数々の名作乙女ゲーを生み出しているのだがその中でも薄桜鬼は別格というか、アニメ化、ミュージカル化までした間違いなく看板作品の名作中の名作だ。
私も全編プレイしたし、なんならアニメもみた。

リンクのランキングを見てもらえばわかるように今年で15周年を迎えた(2009年発表)、言ってしまえばかなり古い作品であるにもかかわらず2022年のランキングでは最近の作品を抑えて見事2位にランクインしている。

つまり世の女の子たちのハートを15年掴みっぱなしなのだ。

一体薄桜鬼の何が女の子たちのハートをつかんだのか。
それはこの作品が徹頭徹尾「男女平等のふりした女性優遇世界」の女の子の幸せ全部のせみたいな設定だからだ。

主人公千鶴はひょんなきっかけから男装して新選組屯所で暮らすことになり、イケメン幹部限定で都合よく女の子とバレるものの一般隊士には少年と思われたまま話が進んでいく。
そして最終的にイケメン幹部の誰かとくっつく。

雑に説明してしまえばこれだけなのだが、この設定がうまかった。
つまりイケメンからは「異性への愛」を引き出し、一般隊士からは「同性だが少年という子供への配慮」を引き出すことに成功したのだ。

千鶴を女として見ていいのは千鶴(に感情移入したプレイヤー)が認める幹部だけであり、その他雑魚は千鶴を女として見る資格はない。
だが「男装」させ「男だけど子供」に見える人設定を追加したことで、一般隊士は千鶴を「対等な男ではあるが子供なので配慮が必要」となり、男女平等の上での女の子への配慮を成功させた。
今の女の子たちにとっては無力な女の子がわかりやすくイケメンに守られるのはまるで女の子が一人では何もできないように描かれた女性差別なので、一応敵に自発的に立ち向かいましたテイの後にイケメンが勝手に助けに来なければならないし、ついでに男からの性欲の絡まない配慮も欲しい。

男女平等というテイのもと、下手に男に「助けて」とはもう言えないので、イケメンが女の子の助けてほしい感じを機敏に察して自発的に駆けつけるという助け方しか良しとできない。

世の女の子の思う男女平等はこれである。
気遣いのできるイケメンのみが自分を女として求め、それ以外の雑魚オスからは「性的な目線のない中性な人間への配慮、人間へのやさしさ」が欲しい。
女の子が認めたイケメンのみ女の子に「異性への愛」を向けて良く、その他雑魚オスは女の子を「自らの意思で配慮したい中性(少年)」に見なくてはならない。
これが女子の思う男女平等の正体だと思うし、この延長線上でお嫁さんを何のしがらみも責任も背負わずに幸せにやりたいのだ。

女の子は別に求めてないけど男が女の子を助けたくて勝手に白馬の王子様になりたくならなければならないのだ。
もちろんそれに対する女の子側からの感謝や尊敬などは男女平等なのでない。そもそも「私たちは勝手に男に助けられた」んだから。

ちなみに「昭和の頃の男は稼ぎ、女は産むが良かった」とか「強制的に結婚させられたい」とかは全て「受け取る無形の報酬は一緒で」という前提の上でだ。
「産む人」という言い方がもう全てを物語っている。
「産む人」は「育てる人」でもないし「旦那の世話をする人」でもない。
「産む人」は産んだだけで「稼ぐ人」と同じだけ偉いのであり、「稼ぐ人」と同じだけの尊敬や名誉を受け取って当然なのだ。

少子化少子化と騒げば騒ぐほど産める能力を持つ女を付け上がらせるだけだったんだろうな。

そしてもちろん男女平等のフリした女性優遇の元でのお嫁さんなので夫は嫁の手料理に褒め言葉以外言ってはいけないし、「自分が食わせてやってる感」も出してはいけない。
そして子供は夫婦二人でつくったのだから夫も育児をやって当然である。

「稼ぐ人」と「産む人」はそれぞれがそれぞれの得意なことを主体的に選んだだけ。
そこに優劣や貴賤はない。
だからもらえる無形の報酬、名誉や尊敬などはどちらを選んでも同じだけもらえて当たり前。
それが平等。だってどっちを選んでも同じだけ頑張ってるから。
「稼ぐ人」への特別な感謝を「産む人」に強要するなど女性差別である。
お嫁さんになりたい女の子の思考はこうだと思う。

もっとあけすけに言ってしまうと、彼女たちは「稼ぐ人」には名誉や尊敬や地位などは無料でついてくるオマケだと思っている。
それが重責を背負うことでのトレードなどとはつゆとも思わず、だからこそ「産む人」を選んでも「稼ぐ人」と同じだけの名誉や尊敬がタダでついてこなければ詐欺なのだ。そうでなければ平等ではない、「産む人」を選んだ女性への差別なのだ。
「同じ無形の報酬をもらえると思っていたから産む人になってあげたのに!少子化問題に貢献してあげたのに!これは女性差別だ!私たちはお嫁さんにさせられた!」

だけど、ここまで言っておいてなんだが私は彼女たちが「稼ぐ人はタダで尊敬や名誉をもらえてずるい」と思ってしまうのは仕方ない面もあると思う。
なぜなら男性のモテに関してはそうだからだ。
名誉や地位や金のある男の元にはモテがタダで舞い込んでくる。
それはそういう男をもてはやしている女側の責任というか性欲のせいなのだが、それを女の子思考に転換すると「稼ぐ人になれば勝手に尊敬されるのだから産む人になっても全く同じだけ自動的に尊敬されるべき」ということになる。

で、「産む人は稼ぐ人ほど尊敬や名誉を得られない」というネタバレが世間に広がると次のフェミニズムはどうなるか。
おそらく「女の子に男性と同じことを求めること自体が差別である」運動が始まる。
今まで散々アンチフェミ側から出て来たデータや統計から導き出される結果として、「女の子は男性と同じような主体性もないし、責任を背負えないし自ら人生を切り開く気力はない」というデータに対する開き直りフェミニズムだ。
「それの何が悪いん?」
「女の子は男性と同じことができない。だけどできないのが自然なのだから、生物としてそういう設計なのだから、できないままで男性と同じだけの権利や無形の報酬を与えろ。それが男女平等だ」
こういうフェミニズムだ。

だから「稼ぐ人」という男が得意なジャンルでそれにまつわる幸せや得られる無形の報酬が「産む人」という女のジャンルよりキラキラしてるのはずるいし、女性差別だから女の子は産む人になれば勝者男性と同じだけの無形の報酬をもらうべき。
そうでないなら男女平等でない。
男性性ネイティブである男性が「稼ぐ」のジャンルで高い無形の報酬を得られるのは当たり前。だったら全く同じものを女性性ネイティブの女性にも「産む」のジャンルでよこせ。
こういうまたもや具体的なゴールのよくわからんお気持ちフェミニズムが始まると思う。

そろそろ女の子たちは、私含めて、わきまえと男性への尊敬を取り戻さなければいけないと思う。
つまり「産む人」になるのなら「稼ぐ人」と全く同じ無形の報酬は諦めなければならないという当然のわきまえだ。
そして「稼ぐ人」を選んでも男性と違ってモテはついてこないし、おそらく勝者男性と同じだけの報酬はもらえないだろう。
だけど男性はそもそも「産む人」を選べないという非対称性も忘れてはならない。
「産む人」には「産む人」なりの幸せがあり、確かにそれは「稼ぐ人」が得られる幸せよりずっと地味でキラキラしていないだろう。
それに女の子たちが文句を言わずに耐えられるかどうか。「平等とは結果平等である」を叩きこまれた私の世代には難しいし、若干私も頭では理解していてもやっぱり不愉快だ。

最後に。
私がこうだったらいいのになと思う未来の男女平等は、男性性と同じくらい女性性も評価される世界だ。
そしてそれは男性が寝そべり型ジェンダーレスに向かうことで、男らしさから降りることで達成されようとしている。
だけど、そうなったときに今の社会のインフラは維持できないし今のままの人間社会も維持できないと知ってしまった。

しょせん男女平等は人間には無理だったのだろうか。
今若い女性たちがやるべきことは有害な女らしさを暴走させる女どもを積極的に叩いていくことなのだろうが、正直言ってうまくいくとも思えないしうまくいったとしてもその先に未来の男女平等があるとはあんまり思えない。

この先どうあがいても女へのバックラッシュ吹き荒れる時代に私たちの世代は生きていかなければならないと覚悟しておくしかないんだろうな。

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