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言葉を秘める女たち

https://note.com/terrakei07/n/n2bee616d8824

白饅頭氏のとある文章からたどり着いたこのツイート。
このツイートがなぜ「女はいまだに女子供枠なのか」を見事に証明している。
女は怒れない。
いや、女は言葉を話すことすらできないのである。女の言葉は指でのみ、この世に存在する。
そして言葉を話せない人間とは幼児のことを指す。

まず冒頭のじいさんの振る舞い。
これが言語道断に無礼であることはもちろん承知の上で言うがこのやりとりで負けたのは明らかに幼児連れの女性である。

フェミがよく言う「女性は怒り慣れていない」「女性は男性相手に怖くて怒れない」の代表例を見事に体現しているが、残念ながらフェミが台頭する前のまともな社会では言い負かされた方が負けである。

私がこのじじいなら100%こう思うだろう。
「勝った!」
「何も言い返してこないのなら俺は正しかったのだ。ぜひまたやろう。」

そうしてご機嫌に自宅へ帰るだろう。
俺は自らの正義を貫き通し、ポテトサラダを作らないダメな女を注意してあげたのであり、その結果女はうつむき何も言わなかった。
そうか、反省したんだな。
俺はあの女が連れた子供のためにいいことをしてやったんだ。
これからも他の料理をサボるようなクズ女に同じように指導してやらなきゃ。
これこそ日本の未来のため、ひいては子供たちの幸せのためなのだ。
俺ってなんて素晴らしいヒーローなんだろう!

このじいさんの頭の中などこんなものだろう。
相手がうつむいて何も言い返せなかったのは自分が正しかったからだ。

この幼児連れの女性が反撃しなかったという事実はこのじいさんが、ひいては他の「女は子供のために手料理をつくるのが当たり前」という価値観を持つ人たちに成功例を与えてしまったのだ。
子供にポテトサラダすらつくらない怠惰な母親は攻撃してもいい。
向こうが言い返せないってことは俺が正しいってことだろ?

本気で男女平等を願うフェミならここで幼児連れの女性に対し
「あんたのせいでまた女が弱者のように思われる!」
とか
「あんたは女は男と同じことができる、という新常識を傷つけた!」
とか言い出しそうなものだがもちろんそうはならない。

フェミニズム運動、いや弱くて哀れな女という下等生物を保護しよう運動はもちろんこの反撃もできずにうつむいた、負けた女をかばい自らの価値観のために「怠惰な」女に思想を述べた男を攻撃するのだ。

「女の子をいじめちゃだめ!」

私はこのじいさんの思想が正しいとは言っていない。
だが決して「言ってはいけないこと」でもないと思う。
なぜなら差別発言でも誹謗中傷でもないからだ。

このじいさんの中には「女は子供のために手料理を作るのが当たり前
」というズレた価値観があるだけだ。
一言で言ってしまえばこのポテサラ事件は「ズレた古臭いじじいがなんかアホなこと言ってら~」くらいのしょうもないことでありこんなことで差別差別と騒ぐ方がバカバカしいというか被害者意識マンマンである。

だが私は幼児連れの女性に「老害に立ち向かえ!」とは言わない。
相手がどの程度おかしい人なのか分からない状態で、子連れというすぐに逃げられない状態でキチガイの可能性がある絶対に力ではかなわない男に立ち向かえとはさすがに無理難題だ。

しかしそれと勝ち負けは別である。
何がどうだろうがこの社会では言い負かされたほうが負けであり、自らの間違いを認めたことになる。
残念ながらそういうものだ。
じいさんは自分が正しいと思って幼児連れの女に自らの思想から出る言葉をぶつけたのであり、彼女がうつむいたことが何よりじいさんの勝利を決定づけた。
じいさんはその時も、そして今に至っても自分は正しかったと思っていることだろう。
良い悪いは別として「反論できない」「うつむいてしまう」というムーブはそう解釈されてしまいますよ、という話だ。

だがタイトルの「女は言葉を話せない」はこの幼児連れの女性の話だけではない。
ツイ主の女性は一体なにをしているのか?

代わりにじいさんに言い返すこともできず、さらには幼児連れの女性に声をかけることすらできず、かわりに大丈夫ですよと「念じる」という謎お祈りムーブである。

これこそが私が「女は言葉を話せない」と断じた理由である。
確かにツイ主も幼い娘を連れているのでじいさんに言い返すのは難しかろう。
追いかけてこられた場合すぐに逃げられないし、子供に何かされたら大変である。
だが、相手の幼児連れの女性に声くらいかければよかったのではないか?

「あんなの気にすることないですよ」
「まったくひどいヤツですね~」
「うちの娘も市販のポテサラでここまで大きくなったんですから大丈夫ですよ」

なぜそう一言声をかけてあげなかったのか?
ツイ主が男性なら分からなくはない。
変なじじいにきついこと言われた女性にまた見ず知らずの「男性」が声をかけるというのはさらに女性にダメージを与えかねないし、場合によってはそれ自体加害ととられかねない。

だからこそ女性であるツイ主が幼児連れの女性に声をかけてあげるべきだったのではないか。
男性がもはや見ず知らずの女性を助けられない、助けることがリスクとされてしまうこの時代に女を助けられるのはもう女しかいない。
リスクなしで女性を助けられる唯一の存在、女性は一体なにをしているのか。

「大丈夫ですよと念じる」なんて謎宗教モードに入ってる場合じゃないんだわ本当に。
言わなきゃわかんないよ。あなたが何をしているのか。

場合によっては悪い方にとられかねないじゃん。
幼児連れの女性からしたら「私が変なじじいに暴言吐かれてる目の前で堂々とポテサラ買うの?今の見てなかったの?何様?」
「あんたはいいわよね。あいつに怒鳴られずに堂々とポテサラ買えるんだから。」
「あんたが先に来ればあんたが怒鳴られてあたしはさっさとポテサラ買えたのに」

そう思うんじゃないのか?
幼児連れの女性からしたらツイ主の女性は「同じ子連れの女でありながらわたしを犠牲に自分だけいい目を見た人」
というストーリーになりかねない。
ツイ主の念など何も伝わらず、ただ自分を犠牲に堂々とポテサラを買う嫌味な女にしか見えていない可能性だってある。

だからこそツイ主の女性は彼女に声をかけるべきだっただろう。
自分の行動が嫌味や皮肉やあてこすりではなく、あなたと同じくあのじじいにあたしも怒っているよと明確にするために。

「言わなくてもわかるでしょ」「察してよ」
そういう文化が女同士の連帯を阻んでいき、以前書いた「女を信じない女たち」に繋がっていくのかもしれない。
能力だけではない。念とかお気持ちとか察して当然とかいう超能力頼みな文化が相手の心の内を見えなくさせる。
心の内が見えない相手は信頼できない。いわんや能力をや。
ってところだ。

そしてついでに言えば「女同士の連帯で変な男に立ち向かう」という最高の教育を娘の前で披露するチャンスを、このツイ主は失ったのかもしれない。

念とか心の中でただ思っているだけ、で救われるのは自分だけだ。
相手とコミュニケーションを取らなければ「自分は良いことをした」という物語に永遠浸っていられるのだから。

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