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働き者のアーティスト アーティストも色々①

「わかる/わからない」の視点で、アートに関わる話を、思いつくままつらつらと綴っています…。
 前回ですっかり「休憩」したので、今回はしっかり働くことにしましょう!(笑)

 アーティストを生業としている人(…あ、私もそうでした…自称ですけど)は、好きなことをやりながらマイペースで暮らしているという印象がありますが、ストイックで勤勉な働き者が多いように思えます。「24時間働けますか? 働けますよ!」という感じだっただろう巨匠の名前は、枚挙にいとまがありません。

アニメ《フランダースの犬》の最終回で涙した人もいると思いますが、(時代が違う人で興味のある方はお調べください)主人公のパトラッシュが見つめた作品がこちら。

キリスト降架

《三連祭壇画 キリスト降架》
ピーテル・パウル・ルーベンス
1611‐1614年
アントウェルペン 聖母大聖堂

いかにも「西洋画」ってイメージですね。こちらの作品を描いたのがルーベンス(1577~1640) 「王の画家にして画家の王」と、めっちゃ持ち上げられていますが、その評判は自ら必死に”働いて”築いたもの。当時、画家の地位はとても低く、手先の器用な「職人」といった扱いでしたが、芸術家として認められるために、いまならさしずめユニコーンベンチャーの創業社長のように、斬新なアイデアをもとに精力的に動き続けています。

 1589年(12歳) ラテン語学校に通う
 1598年(21歳) 親方画家として独立
 1600年(23歳) イタリアで修行…(マントヴァ公爵の宮廷画家に)
 1603年(26歳) マントヴァ公爵の使節としてスペイン訪問
 1609年(32歳) ブリュッセルのアルブレヒト大公夫妻の宮廷画家に
         イザベラ・ブラントと結婚
 1622年(49歳) ネーデルランドの和平交渉のため外交活動開始
 1629年(52歳) フェリペ4世の命で和平交渉のためイギリスへ
                『芸術新潮 2018.11月号』より抜粋
 

え? これが画家の履歴書? って感じの活躍ですよね。この間に自分の工房をフル活用して、様々な注文に対応して、一体ルーベンスの作品ってどれだけあるの…というほどの「ルーベンスブランド」を確立させていきます。

「いいものを作っていれば、いつか認められる」…と言っているだけでは、職人のままで終わっちゃうと「わかって」いたんでしょうね。400年前の巨匠の作品に涙するのは、パトラッシュだけではなく、働き疲れたビジネスパーソンかもしれません。自分はルーベンスにはなれなかったと。……いや、ここからまだまだ頑張れると思いなおせるかもですね。

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