見出し画像

映画『ドライブ・マイ・カー』を「観に行く」

今日は12時過ぎにシネ・リーブル神戸へ。14:15~の映画『ドライブ・マイ・カー』のチケットを先に買っておくためだ。この劇場には初めて足を運んだが、凄く上品な空間。通いたいな。以下はチケット購入時の会話。

わたし「14時からのドライブマイカー空いてますか?」
販売員さん「ドライブマイカーですか…」

販売員さんのばつの悪そうな受け答えとともに、電子パネルに映し出された灰色に埋め尽くされている座席表を見てうなだれ―――そうになったのも束の間、最前列に人席だけ空きが。

販売員さん「ひと席だけ空いておりました。一番前ですがよろしいですか?」
わたし「勿論です!」

正直この『ドライブ・マイ・カー』という映画、公開された週から話題にはなっていたのだが、自分には合わなそうと感じ見送っていた。そんな中での受賞ラッシュ(カンヌ国際映画祭での脚本賞、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞など)を目の当たりにし、これは「観なければ」という一種の義務感が生まれた。そんな感じで今回の鑑賞に臨むといった形だった。

それが満席トリック(なんやそれ)によって「観れる!やったあ!」となったのでどこか得した気分。販売員さん、ありがとうございます。

ところでこの「満席トリック(勝手に命名)」、他のことにも応用ができないだろうか。何か似たようなものがないかなと、心理法則について軽く調べてはみたが、特に見つからなかった。ありそうなんだけどなあ。カリギュラ効果がニュアンスとしてはちょっとだけ近いかも。心理学専攻の人、また教えてください。

話を本題に戻して『ドライブ・マイ・カー』について。映画.comではこのように記されている。

村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を、「偶然と想像」でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した濱口竜介監督・脚本により映画化。舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。主人公・家福を西島秀俊、ヒロインのみさきを三浦透子、物語の鍵を握る俳優・高槻を岡田将生、家福の亡き妻・音を霧島れいかがそれぞれ演じる。
映画.com『ドライブ・マイ・カー』より

追憶系かな?と推測。邦画(あんまり観ない)の追憶系となると高校時代にみた『世界から猫が消えたなら(2016)』以来になるかな。詩的な空気感は好きだったけど、正直いい印象はあまり残っていない… 当時はまだ子供だったしそりゃそうか。おこちゃま時代の私には難しかった。今日の映画が良かったら見直してみようかな。いまなら感動できそうな気もしなくはない。『マチネの終わりに』の例もあるし。

そういえばドラマ『流星ワゴン』も見てたな。中学生のときかな。同じ西島さんだし、車だし、記憶辿るし(そうだったよね?)。家族で毎週見ていた作品だし、そんな意味でも『ドライブ・マイ・カー』、期待してもいいのかしら(期待値上げちゃってるけど大丈夫かいな)

村上春樹でもっとも印象に残っているのは、こちらも高校時代に読んだ『騎士団長殺し』だ。小説(あんまり読まない)の中では1.2を争うほど好きなこの作品。昨日行った古本屋でも見掛けた。購入には至らなかったが、あの重厚な本のフォルムを目にすると、初読時の思い出が蘇ってくる。授業中や部活終わりなど。暇を見つけて読んでいたな。懐かしい。

いまから鑑賞する『ドライブ・マイ・カー』もこの本のように思い出に残る一作になってくれれば。4月から社会人となるこの年、私生活の変化とともに、私の映画ライフも変化することだろう。そんな意味でも記憶に残りやすいであろうこの年の映画たち。そんな今年の劇場鑑賞一本目。約3時間と長めの作品ではあるが、楽しんで鑑賞したいと思います。

それでは!

いいなと思ったら応援しよう!