掌編小説 旧友
旧友の沖田は喧嘩っ早く、よく顔にあざを作っていた。
人に殴られるなんて余程のことをしなければそうはならないのに、沖田はいつも平気な顔をしてヘヘッと笑うのだった。
奔放だった。警察沙汰になったこともあった。心配する私をよそに、沖田は楽しそうにしていた。
共にバイクを乗り回し、地元の小さな喫茶店で語り合う。そのような時間は今となってはかけがえないものであったと気付けるが、当時の私は無知で、知ったかぶりの傲慢ちきで、なんだかんだ言ってこれからも沖田とつるんで日々を過ごしていくのだろうと思い込んでいた。
高校を卒業した後、私は地元を離れ、大阪の運送会社に就職することになった。環境が変わり、目まぐるしく過ぎていく時間をよそに、私の気持ちは高校時代で止まっていた。
当時はスマートフォンなどなく、もっぱら連絡手段といえば自宅の固定電話か手紙であった。トラック輸送で地元に戻るたびに、沖田のことが思い出された。私が地元を離れたのを機に少しずつ疎遠になり、連絡を取り合うことなど滅多になくなってしまっていたのだった。
それでも共通の友人から、沖田の噂を耳にすることがあった。
「あいつ、仕事辞めたらしいよ」
そう聞いて、特に驚くことはなかった。どうせ、上司と喧嘩でもして勢いで辞めたのだろう。何もせずふらふらしている沖田の姿を想像できた。
急展開を迎えたのは、たったの数ヶ月後のことだった。
「そういえば沖田のやつ、あの会社の入社試験を受けたらしいんだよ」
共通の友人は興奮した様子で、電話口で話し始めた。
「あの会社って、あの大手の?」
「そうそう。それで、試験の結果がすこぶる良かったらしくてさ」
「へぇ」
「上役の目に止まって、技術職のチームに配属されることになったんだってよ」
沖田は、高卒ながらも、大卒のエリートばかりがいるような部署に配属された。それを機に、上京していった。
私は驚いた。確かに沖田は頭が切れたが、馬鹿な私には沖田の凄さを完全には理解できていなかったのかもしれない。
共通の友人から聞いた。あいつは数学の天才だ、と。あれだけ同じ時間を過ごしたのに、私は知らなかった。沖田の頭脳には、私には理解不能な複雑な数式を瞬時に解く能力があって、それは大学数学以上のレベルであった。それがようやく、今回のような形で日の目を見たのである。
私は知らなかった。
あれから四十年の月日が経ち、私は定年退職して、穏やかな日々を過ごしている。
数年前、沖田は急逝した。死因は知らされなかった。
「俺に何かあったら、助けてくれるか」
亡くなる少し前、久しぶりに沖田と再会したときだった。そう尋ねられた私は、理由を聞くことなく頷いた。そのときの安堵したような表情の沖田が、今も目に焼き付いていて離れない。
私は知らなかった。沖田の、何もかもを。