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人はなぜゲーム音楽に囚われるのか

・突然どうした?
一つの区切りを経て、ゲーム音楽を聴いて、心が震えたので思うまま執筆してみようかと思ったのが発端です。
下書き無し!大した見直しなし!感情値100%!でお送りします。
ミスがあっても許してください。
許してくれるね?
ありがとう。

・きっかけはランスシリーズのクリア
正月明けから手を付けていたランス10をようやくクリアしました。
ランス10とはエロゲメーカーの巨頭、アリスソフトがお出ししているランスシリーズの最新かつ、最終作になります。
以下は公式サイトですが一応18禁ゲームのためクリックにはご留意を。

全体通して難易度が高いもののストーリーはもちろんゲームシステムも面白く、周回によるやりこみ要素が相変わらずで無限に時間を喰われる恐ろしいゲームでした。
私の本体である眼鏡はランスシリーズとはかれこれ15年来の付き合いで、
戦国ランスから始めて、公式から配布されている1~4と鬼畜王、中古市場に転がる5D、6を買い漁って通しで遊び、以降のタイトルはとりあえず買っては機を見てプレイをしていました。
ランス10の終盤では色々思うところがあり、存在の有無がわからない涙腺に何度も何度もダメージを負ったなどと意味不明な供述をしていたとかしていないとか。
ところで初週でクリアA※でしたよ。褒めてほしい。
※エンディング分岐のようなもの。いっぱいある。

・本題
そんなこんなで本題です。
人はなぜゲーム音楽に囚われるのか。

私の結論としてはゲームを遊ぶこととは経験そのものであり、ゲーム音楽はそれら全てを想起させるトリガー足りえるからです。

この場合の経験とはそのゲームプレイにおける自分の思考、感情、選択とその記憶等、ゲームを遊んだプレイヤーに根差すもの全般を指しています。
私は普段ギルティギアストライブをよく遊んでいますが、ふとした時に膝という単語やBRとかいうアルファベットを見るたびイラっとしています。
最新バージョンをお遊びの皆様におかれましてはかの膝に泣かされた人も少なくはないかと存じます。
私もそうだからね。

かの膝。ゲームを壊す前にその膝を壊せ。(私情マシマシ)

このイラっが発生するメカニズムは膝やBRという単語がトリガーとなってゲームプレイ時の体験と感情を想起させるからです。悪く言えばトラウマ。
話がそれましたが、つまり情報の入力で人間は過去の経験を思い出して良くも悪くも感慨に浸るという流れです。
これは別にゲーム音楽に限らず何にでも置き換えることができます。
今回のテーマはあくまで私の本体である眼鏡がランス10の最終決戦のBGMを聞いて情緒がしどろもどろになった結果です。

ランスシリーズといえば戦闘BGMのかっこよさが売りの一つで、ラスボスの曲ともなればイントロを聴くだけで、ああ、これがクライマックスなんだ、とわかります。
そしてこの度クリアしたランス10。なんと最終作でございます。
ラスボス戦がはじまり、今までのボス戦と全く違うBGMの入り方から、あぁ、これがほんとのラスボス戦か、といういつもの感想と、もう一つ。
普段とは違う私の感情がそこにはありました。

ああ、終わってしまう。

と。
ゲームとはクリアするために遊ぶもの。
ラスボスを倒してエンディングを迎えてハッピーエンド。
それを成すために遊んでいるわけですからそんなネガティブな感想が出るとは思わないじゃん?
出ちゃうんだなこれが。

さほどやりこみはなくともシリーズに触っている時間は長く、しかも根っこはRPGということで、そこにはたくさんのキャラクターと物語があります。
そこまで重きを置いたつもりはありませんが、キャラクターのふるまいや物語の変遷に一喜一憂した経験が私の中にあります。15年も。
人類の15年は長いようで短く見えてもやっぱり長いので15年来の蓄積は人をいとも簡単に脆くするようです。
この戦闘が終わってしまったらエンディングになってしまう、ランスくんの冒険が終わってしまう、終わってほしくない。
そんな感情が心の中でざわついていましたがそこに更に過去作をプレイした際の記憶やら感情やらがないまぜになり、いけーランスくん!終わらせちまえー!みたいな感情も出てきてしまい表面上はかくあれ内面の情緒は過負荷に耐えきれず無事に崩壊を迎えました。
BGMをひたすら聞くだけならまだしも、前後のストーリーや演出、過去作からの変遷を思い出すと未だに喉の奥に違和感が生まれたりなんかちょっと視界が滲む。

そんなわけで今回のケースにおいては、最終作のラスボス戦=終わりの一歩手前で今までの思い出せる限りの経験を根こそぎ引っ張り出されてしまい、処理できなくなったクソデカ感情が情緒を破壊したという顛末になります。
しばらくは解禁されたサントラを無限に聞き倒しますが、落ち着いたらランダム再生のリスト入りとなるでしょう。
しかし、ふとした時にまたこのクソデカ感情を思い出すためにラスボス戦のBGMを選んで聞くと思います。
なぜならば、私はランスシリーズを遊んでその物語やキャラクターが好きになってしまったのだから。
最後の最後でありていな言葉で〆てしまいますが、この辺はあまりひねらず素直な言葉をチョイスしたと思ってご容赦ください。

・終わりに
ランスシリーズは初出が1989年発売のRance -光をもとめて-、最終作であるランス10の発売は2018年と、ほぼ30年の歴史を持つ超大作です。
スケベ一辺倒でかなりおバカで乱暴だけど純粋で憎めないランスくんとそのじょsy奴隷のシィルちゃんの物語、ご興味があればぜひプレイしてみてください。
ランス5D以降はいろんなサイトでDL販売されているので遊びやすいかと思います。

あとはランス02の救済措置とランス04(未発表どころか何も情報なし)がお出しされればランスシリーズのストーリーを最新のプラットフォームでつつがなく遊ぶことができるようになりファンも右肩鰻登り鯉のぼりになるかと思うのですが、どうですかアリスソフトさん?
え?だめ?
ひんひん。

では、まだワーグちゃん剝いてないのでここらで失礼します。


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