「一口食べてみなよ!」という言葉の暴力
僕は好き嫌いが多い。
いわゆる偏食というやつだ。
とりあえずこんな感じできらいだ。
嫌だけど食える
・炒め物に入った硬いキャベツの芯、ニンジン
→硬くて食事の邪魔をしてくる。
・辛いもの
→カレーは甘口派。辛いと食事を楽しめない。
・おかずに入ってるトウモロコシなどの甘い野菜
→甘いものはおかずに入れないでください。
絶対食いたくない
・キノコ類全般(えのきは除く。)
→味、食感全て悪い。いいとこなし。
・豆類全般(枝豆は除く。)
→加工してから食事にして下さい。
・わかめなどの海藻類
→同上。
・いくらなどの魚卵(明太子は除く。)
→はじける食感が気持ち悪い。
・セロリ、パクチー、大葉などの匂いきつい系
→においほんとにきつい…
・癖強めの外国料理
→日本食で良いです。
リバースしちゃう
・オクラ、めかぶなどのぬるぬるするもの
→味も食感が無理。耐えられない。
・中華丼のあんなどのとろとろしたもの
→食感がとにかく不快。無理。
・茶碗蒸し、湯豆腐などのぷるぷるしたもの
→食感最悪、味も薄い。最悪。
そんなわけで、味というよりは食感が苦手なものが多いのだ。
なのでお洒落な旅館に泊まっても出てきたご飯で僕が食べれるのは1品だけとかはざらにある。
高級な出汁が利いている煮つけとかよりもコンビニのツナマヨおにぎりとカップラーメンの方がよっぽどテンションがあがるのだ。
そんなわけでいつも家では妻に僕がおいしく頂ける料理を作ってもらっているのだ。
ただ、妻の実家にお邪魔した時がきつかった。
妻のご両親は居酒屋を経営しているので、料理に関してはかなりおいしいものを頂けるのだが、たまに湯豆腐やキノコグラタンなど、僕が食えないものが出てくる。
もちろん、食べれない僕が悪いのだ。
今では僕が好き嫌いが多いことはなんとなく伝わっていて、「好き嫌いなくせよ?」なんて冗談交じりに言われることもある。
ただ、内心しょうがないとも思う。
だって僕が嫌いなものはおいしくないのだ。
嫌いなアニメや漫画を無理やり読む必要は決してないはずだ。
嫌いな人と結婚することもないし、嫌いなものは買わなくていいのだ。
それなのにどうして嫌いな食べ物は食べなきゃいけないのだろうか。
しかも時としてそれを強要されることすらある。
嫌いなものを食べることを強要してくるという行為は僕にとっては、僕の好みと真逆のタイプのブスな人から1ミリも面白さを理解できない漫画を永遠と「読めよ!」と強要されることとなんら変わりはない。
それくらい「迷惑」なのだ。
たまに「一口食べてみなよ!」と言ってくる人がいるが、アホである。
「食ったことない」と言っているのであれば、一口食べてみなよと勧めるのはいいかもしれない。
ただ、「嫌い」といっているのだ。
食ったことがあるにしろ、ないにしろ、その料理にはあからさまに自分の嫌いな要素が含まれているのだ。
嫌いと言っている料理を食わせようとするのは、グロが苦手な人に新作のスプラッター映画を見せようとしているようなものだ。
本当にいかに自己中な行動かわかってほしい。
もちろんほかの要素がすごく気に入って、結果的にその料理を気に入る可能性もあるかもしれない。
ただ、基本的にはない。
好き嫌いが多い人間として年齢を重ねれば重ねるほど、不味い料理を見分けるレーダーの精度は上がっていくので、僕はここ最近で「これ不味そうだな」と思った料理を食べて、おいしかったことはない。
そもそも好みというものがある時点で料理も好き嫌いがあって当たり前なんだからそれを認めてほしいものだ。
「自分が食えるから」という安易な気持ちで強要されると本当に不快な気分になる、ということだ。
そんなことを思いながら、妻がこんな偏食な僕に合わせて作ってくれた食事を食べて、妻に感謝する僕だった。
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