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①水戸が好き

会社のPCから打つので、


写真のアップロードが、、


規制されているのですが、、、そこは後から家で継ぎ足します、、ハイ。

タイトルにある通り、自分は今_水戸にハマっている途中です。

大体こういう"なになに推しです"宣言って、


「自分を語りたいんだな」


って受け取ってもらって構いません。自分もそういうもんだと思っています.

セルフプロデュースっていうんですかね


なぜこれにハマったんだろう、どういう経路で同じ興味に辿り着いたんだろうって筋書きを差し引いては人間の内面って見れないじゃないですか。


逆に内面を知ってほしい、深い関係・理解者でありたいと相互に思わない関係を目指して、、、何が楽しいんでしょうか?

(早速、何かに恨み節ですが…)


・・・


自分はどこかにそれを求めてる途中なんだと思ってください、


人は一生孤独なんだ、っていう意見も、ある程度


いろいろやって成熟してきたら受け入れようと思うのであった…(続く)


じゃないよ!


この記事を開いてくださった方、ありがとうございます。


水戸になんらかのシンパシーを感じて情報を求めてきてくださった方に

少しでも足しになればと、水戸が気になったエピソードを書き連ねていきます。


まず、茨城県


茨城県の中心ってなぜ水戸なのか?と疑問を抱いた方は

石岡という土地についても関心がある方なのではないでしょうか。


というのも、歴史の古代にあたる律令制とか古墳時代のお話になりますが

常総国という別名が茨城県にはあります。

(常陸(ひたち)の国という方も多いのかな?)


そして全国にこのような旧名で区切られた地域を"律令制"と

大雑把に呼んでいるのですが、

その頃の中心地・栄えていた場所に国府とか一ノ宮といった地名が残っていることが多く、茨城県のそれが石岡市に当たります。


古代の需要と現代の需要が異なれば、県庁所在地と旧国府がズレるという訳


だとしたときにですよ、前提として。


「地方創生」


を唱える人って少なからずいますよね。私も賛成です、地方万歳。

中央集権に頼らず、日本全体で元気にやっていこうぜ~

(なんていったら血の気の多い戦国気質なんて思われても、いいよ!笑)

他人の目は気にしろ、えぇ。


私が地方創生を唄う理由は置いといて、

単純に国府となる土地には輸送手段となる川や海や自然など

地理的なパワースポットたる由縁があるわけで


水戸がそうなら文句が出ないという話ではなく

単純に国力を活かせていない証拠なんではないか?と

疑いの目を投げかけてもいいポイントだと思っているんです。


先ほど、自分が地方創生を唄う理由…と語りかけましたが

世の中、再生可能エネルギーを増やそう、と96年生まれの自分が生まれたころから言われております。

石油資源の無いこの国(日本)は、工業製品やサービスの輸出によって稼ぎを得ていると。

…じゃあそう言ってるお前が国府に住めよ、と。


投げやりで強引かもしれませんが、簡潔にこれが私の持論です。

「地の利を活かしていないやつの話なんか聞きとうないわ!」


水戸藩の重臣たちもそう思っていたのでないでしょうか?

これが今回の記事の入りです(お待たせしました)


古代の茨城県には、香取海と呼ばれる広大な入り江が広がっていたそうです

この千葉県と茨城県の境界にあったような大河なんてもんは


昨今の時代、ダムによる電力供給の恩恵を受けている私達からすると

仕方ない、と思って終わりかもしれませんが、

時は江戸時代の始まる少し前。


豊臣秀吉から徳川家康が江戸に左遷(東遷?)させられた勢いで、

利根川も東遷させちゃうんですね。


今のスカイツリーがある向島の少し上流で、埼玉から来る入間川やらと

利根川が合流してそれはもうビチャビチャで発展させづらいから、


この利根川を香取海に流し変えようと工事をした結果、香取海は土砂で埋まっていき、入り江の奥地だった石岡など茨城県の国府は土地の価値を失っていったと考えられます。(入り江の貿易を牛耳ってただろうからね。)


そんな経緯もあって、歴史的アイデンティティーの薄い那珂川の河口域に

皮肉にも「水戸」という水運に適したような地名で水戸徳川家はスタートしたのでしょう。


水戸藩は現代では東京から特急で1時間半かかるところにありますが、

参勤交代などはせず藩政が弱かったような印象を受けます。


そのような地の利を江戸につぶされたような土地で、暮らすはめになった

水戸徳川家というのは親の代を恨むような念を抱いても仕方ないと思います


「水戸学」と呼ばれる活動が起こり、それが最終的に幕府の転覆するきっかけになるとわかったら、この"水戸"という土地に

どこか人間らしさというか、禍々しさを感じませんか?

私は後々に歴史を漁る現代人として、好きになってしまった訳です。


親を恨みたいわけじゃないんです、ただその負のパワーをもって難境を乗り越えようとした結果の悲劇に、いつの時代にも共通する何かがあると思うと

水戸を訪ねる目線が変わって面白い…

(面白きこともなき世を面白く)

なんて句が浮かんでくるわけですきっと。


話は逸れましたが、


この水戸学、の始祖・水戸黄門(第二代目_藩主)は歴史を編纂して

己らのアイデンティティーを尊王攘夷、南朝支持、楠木正成を信仰する訳であります。


尊王はまだ天皇を敬う気持ちだからいいけど、南北朝っていうのは

北朝がマジョリティーだったらしく、楠木正成は武士政権を倒した人物だから、この時点で遠回しの相当なひねくれっぷりがわかります。


これが水戸で研究され、第九代・徳川光圀の時期に花開いて

桜田門外の変というテロ事件によって国土に暴力による解決の雰囲気が

覆ったといいます。そこからは薩長による倒幕ですね♪

(これ以上の説明はできないので端折りました…)


徳川幕府を滅ぼしたのは利根川の怒り、もしくは香取海の呪い…と捉えても少々オカルティックで面白いかと。(続く…_25/01/29)

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