「どうして日本人は、一生懸命働きますか?」

インドネシアに来て2カ月。よく聞かれる質問がある。

「どうして日本人は、一生懸命働きますか?」

正直、私はこの質問にピンとこないでいた。

「なぜそう思いますか?」

そう聞くと必ず

「時間を守ります、寝ません、ちゃんと働きます。」

そう返事が来る。

私はまだ大学生だ。社会経験も(アルバイトしか)ない。だから実際のところ、働くということについて明確にはわからないが、日本人=マジメ だという彼らのイメージがどうにも気持ち悪かった。

少なくとも、私が知っている限り、遊んでばかりの日本人もいることは事実であり、(それがいいか悪いかは置いておいて)彼らのその純粋な質問に、なんだか申し訳なさを感じた。

そして改めて、私なりに考えてみた。すると、いろいろと自分の中で繋がったものがあった。そして、それをどこかの場で共有してみたいと思い、今回noteに投稿してみている。

そもそも私たちは、小学生、いやもっと前からか、時間や勤勉に関して、厳しく指導され生きてきた。「道徳」という授業もある。高校になると、五分前行動や校長先生の話は静かに聞くことが当たり前になった。もしできない場合は怒られる。怒られることは恥ずかしいこと、嫌なこと。規則は絶対。小心者の私は、怒られることを恐れて、学生時代は規則のギリギリを探して生きてきた。眉毛もあまり触らなかったので、今はとても感謝していると同時に、もっと学生らしくはっちゃければよかったという少しの後悔もある(笑)

「規則ぐらい守れなくて、何が守れるんだ」

これは、学年集会で説教中の先生が私たちに言った言葉である。

その時は正直心の中で「いや、知らんわっ」と思ったことを覚えている。しかし今思う、それだけ日本では、勤勉に生きることが当たり前で、そのような教育がされ、もっと言ってしまえばそれが国民性の土台になっている…のかなと、一人で解釈した。

じゃあ、「どうしてそんな国民性になったのか」、疑問に思い考えてみた。

かつて日本には、大日本帝国という時代があり、1945年(昭和20年)に敗戦国となった歴史は日本人なら知っておかなくてはいけない事実である。多くの犠牲を生み、多くの土地が焼け野原と化した。そこから、日本国民はこの0の状態から、なんとか乗り越えようと一生懸命になった。政府もきっと様々な工夫を行ったのだろう。1955年より、高度経済が始まる。戦後からたった10年の出来事である。私はこの時代の人々に、本当に尊敬の意を表したい。

(私は朝ドラが大好きなのだが、この上の文章に惹かれた方には「ごちそうさん」というドラマを是非みていただきたい(笑))

「勤勉」が当たり前という国民性は、ここで生まれたのではないかと、勝手に解釈し終わろうとしていた。しかし、では、その前はどんな国民性だったのかと考えたときに、私は思い出した。「侍」という存在に。

「武士道」…義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義

「弱きを助け、強きを挫く、鍛錬を怠らず、しかし力を誇示せず、自己の全てに誇りと覚悟を持って生きる」

(細かい説明は省略(笑))

時代によって武士道の解釈は異なったようだが、なんだか日本人の考え方の基がここにあるような気がした。

では、「日本人が勤勉な理由は、侍にある」

そう答えればいいのか、私はまたしても違和感を抱いた。

が、長くなりそうなので、また次に書きたいと思う。


最後に一言

「武士道」って奥が深い。






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