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くまの子ウーフは SDGs

常に人気上位の絵本だということは知っていた。
でも読んだことがなかった。
今回の「キナリ読書フェス」の課題図書でなければ、この先も読む機会はなかったと思う。
読み終えた後は、ウーフのこどもらしい「どうして?」に自分のこども時代を重ね、ほほえましくすがすがしい読後感を覚えるのだろう。と、いっそ過剰な期待を持って読み始めた。
絵本だし、読み終えるのもそう時間はかからないだろう。

キツネのツネタやうさぎのミミちゃん、りすのキキやねずみのチチって、意地悪だなぁ。
……。

数十分後、本を閉じて困惑している自分がいた。
どのエピソードにどう感じるのが正解か、分からぬ。

はちみつが食べたいからって、木になりたいって思うかね?
おしっこでできているといわれて、信じて気にしたりするかな? 普通。
アリのたかったアメを食べるほうが気持ち悪くないかい?

人生も折り返し地点を過ぎた今、絵本を読んでこんなに困惑するとは思わなかった。
こどもは無邪気な好奇心のかたまりっていうから、純粋に楽しいのかな? 
十分大人な自分にはもう好奇心も何も枯渇してしまっていて、どうでもいいことにしか気がいかないのかな? 
みんな、どこに何の気付きを得るの? と思わずググった。
いろいろが不安になって、絵本を読んだ感想が自分の情緒の不安だなんて本末転倒な話だ。

そのとき見つけたとあるレビューに、「ちょうちょだけになぜなくの」に衝撃を受けたというのがあった。こども向けの話には教訓となる答えが示されているものなのに、疑問を残したままウーフがアリの命を奪うからだ。

なるほど、そう感じたのか。
目からウロコが落ちたように感じた。
そして、ほかの話にも十人十色の感想があふれていた。

そうか。
みんなと同じところで共感しなくてもいいのか。
こどものような好奇心がなくとも、自分の感覚で読めばいいのか。
いや。冷静に考えれば当たり前なんだけど、頭が凝り固まっていて、それすらも考えが至らなかった。

自分が何を感じたかも大事だけれど、自分ではない他の誰かがどう感じたか、それを知ろうとすることも大事なのだ。
自分は自分、それでいい。自分とは違う意見も、共感しあえなくとも否定するのではなく、そういう考えもあるのか、と思えること。それが多様性というものなのだろう。
『くまの子ウーフ』はそう語っているのだ、と私は思った。

振り返れば、深い示唆に富んだ哲学的な本だった。
何度も読み返したし、思いを文章にするのも、とても時間がかかってしまった。
絵本って、こどものためだけの本ではないのだなぁ。
今の自分に足らないことを突き付けてくる。
内観の作用があって、ちょっと怖くなった。

でも楽しかった。
写真を撮るためだけに、わざわざ近くの公園にまで出掛けてしまうほどに。

こんなに真剣に読書感想文に取り組んだのは、たぶんきっと生まれて初めて。


よきよき。
三方よしの企画、ありがとうございました。

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