分散して生きる

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▶︎自分は何者なのか?

実は以前まで、ずっと悩んでいたことがありまして。

それは、
自分には”肩書き”というものが無い!ということでした。

あまり苦手なことはなく、どれもそこそこできるのですが、
その反面、ずば抜け出てできるような強みがない。

趣味がいくつもあって、好奇心旺盛と言えば聞こえは良いかもしれないけれど、
それと同時に、どんなこともすぐに飽きてしまって、四六時中夢中になってしまうようなものもない。

なので、「私は○○の人です🙋‍♀️」とわかりやすく言うことができずにいたわけなんです。

これもまた、生きていくうえで自分だけが周りと違うと、違和感を感じていた事のひとつでした。

▶︎わかりにくい人

特にここ数年は、あらゆるコミュニティで初対面の方と関わる機会が増えました。

初めましての方にも分かりやすいように、皆さん自己紹介をするときは、自分のことを「〇〇している△△です」と説明するんだけれど、
私は自分のことを一言で説明することができないので、ほんとうに困っていたんです。

SNSでも「名前 | ◯◯」と、名前のあとに何について発信しているアカウントなのかを説明する文言をつける方が多いように思います。

(後に私は「整体とゲストハウス」とつけることにし今に至るわけですが、一年前まではこれといったものがなかったんです。)

SNSにおいても、専攻しているものがあった方が、ひと目でどんな人なのか分かりやすく、システム上でも認識がしやすいようです。

ということなので、以前までの私は、
人だけではなく機械からも、何者なのかがわかりにくい人だったようですね。

▶︎仕事はなぜ一種類?

専攻がなく、あらゆることに手を足を出してしまうものですから、
「なんか色々やっている人」
「コロコロと職業を変えている人」と思われ不思議がられるんですけれど、
私本人は至って普通に生きているつもりです。

「どうしてみんな一つのことに深く関わっていけるのだろう。私には難しい。」
そう思いました。

そもそも、いつから私たちはひとつのことばかりを繰り返すようになったのでしょうか。

▷「自給自足」と「物物交換」

大きくは、やはり仕事をするようになってからかと思います。
自給自足(生きるのに必要なものを全て自分で得る)より、物物交換(得意なことだけに集中し、苦手は他に頼る)のほうが、効率が良く、公平なので、
人間はひとつのことに集中して取り組むようになったのでしょうか?

ここでは、どちらが良い悪いという話をしたいのではなく、(それぞれにメリットとデメリットがあると思います。)
物物交換がノーマルな働き方になったことで、効率ばかりに意識が向かい、
仕事は1つに絞ることがあたりまえだと、深く考えることなく時間を消費している人が多いことに違和感を感じつつあったのです。


仕事の仕方は人それぞれです。
”ひとつのことに集中した方がうまくいく人”もいれば、
”広く浅くやっていた方がうまくいく人”もいるはずです。

だから、もう少し多様な生き方があってもいいんじゃないかなあ?と思っているのです。

▶︎分散することで自分を保っている

それでも、稼ぐという面においては、ひとつのことに集中した方が良いというのはあるでしょうか。

以前までは私も、稼ぐことを優先していたので、一つに絞ってみようと試行錯誤した時期もありました。
しかし、どうもうまく行かないんです。

一つのことに絞ろうとするとどうなるかというと、途中で脳みそが停止するんです。
行き詰まってしまうんですよね。

▷分散するとうまくいく

ひとつのことに集中するのはやめて、「飽きたな」という感覚のままに行動してみます。

まず文章を書き始めます。
飽きてきたので本を読みます。
そうすると、書きたいことが浮かんでくるので本を閉じてまた文章を書きます。

再び文章を書くことに疲れたら、人に会いに行きます。そうすると気づきを貰い、また書きたくなります。

書くのも話すのも疲れてきたら、音楽を聴いたり演奏したりしてみます。そうするとまた書きたいことが出てきて…といったような繰り返しです。

書いたり話したり演奏していると体が固まってくるので、ダンスをすることもあります。

そうやっていつもと違う環境に身を置くと、普段気づかなかった当たり前に気づくので、
そんなことを書いてみようかなと、
また私は筆を取るのです。


こうやって私は、いろんなことをバランスよくやっていくことで、自分自身を保っているようなんです。

▷色々やっているからこそ書けることもある

私は仕事においても、ひとつに絞らないのは、
その方が気づきが多いからです。

きっと私が文章を書くことだけに特化していたのだとしたら、
きっと書きたいこともなく、書いていても楽しさなどない、中身のないただの文字にしかならないと思います。



集中することが大切だと教えられていますが、アイデアというものは集中力からは生まれない。分散していろんなことを目に手にすることで生まれてくるものなんですよね。

▷求めているものは分散して存在している


実はこれは、
ジャンルという部分においても同様です。

“書くこと”ひとつとってみても、テーマを絞ろうと思ったことは何度もありました。

例えば、『鬱』について特化した記事を書いてみようと思って、「鬱 本」と検索してみる。

そうして鬱について書かれている本を読み進めていくのですが、どれも表面上だけの話ばかりで、読んでいてもまったくピンと来るものがない。ほんとうにつまらないんです。

それが、鬱とは全く違う、家族や恋愛を題材にした小説、それから、
社会学、スポーツ、人生などのエッセイなんかを読んでいて、
不意に出てくる話の中で、霧が晴れるかのように悩んでいたことが解決する瞬間が、よくあるんです。

本当に不思議なことですが、
どうやら、私がが求めているものというのは、あらゆるところに分散して存在しているようなんですね。

▷集中力はいらない

『すべてがFになる』や『お金の減らし方』で有名な作家の森博嗣さんも、分散思考についてかかれています。

著書の一説を引用したい。

起点が効く人の発想

分散思考をしている人は、できるだけ対象から離れようとする本能的な方向性を持つようになる。これが、分散思考と呼べるだろう。どうしてそうなるのかといえば、分散思考をしているうちに発想したものが、まるで違う分野、遠い場所からヒントを見つけた結果であり、思わぬ得をした経験が重なるためである。だから、今まで自分が見ていない領域へ足を踏み入れようとする。まだ新しいものがあるはずだ、と常に探している。

『集中力はいらない』より

私たちは、集中することが大切だと教えられていますが、アイデアというものは集中力からは生まれない。
分散していろんなことを目に手にすることで生まれてくるものなんですよね。

成功する人は一つのことに集中しない

そもそも、何故成功したのかといえば、それはその時代にあって、誰よりも早く新しいものを生み出したからだ。誰も思いもしなかった発想があって、誰も見向きもしなかったものを実行したからである。

まるで一つのことに集中して、一心不乱にやり遂げたように語られることが多いが、実はそうではない。あらゆるものを検討し、既存のものに集中せず、柔軟に対処した結果である。

そこにあるのは、集中ではなく、分散だったはずだ。
多くを見回し、たまたま見つけたものが育ったのだろう。既にあった問題を解決したのではなく、新しい問題を見つけ、それを解いた結果なのである。

『集中力はいらない』より

何がどう繋がるかなんて分からないもの。
だから、一見関係ない、意味のないようなことでも、やっていくことが大切なんですね。


私とおなじように、浅く広くが得意な方は、
その分散思考を封じ込めてしまうのではなく、自分の強みとして活かしてるのもいいかもしれませんね。

たくさんの気づきを得られる本なので、ぜひ手に取ってみてください。

▶︎だからこのまま突き進みたい


だから、一点突破が強いということを知っておきながら、私は分散し続けることにしました。

そのほうが、私自信が楽しく納得できるから。

誰になんといわれようとも(と言えるほど強気にはなれないけれど笑)、
自分の感覚に従って生きていきたいんです。

一般常識というものは、ときに自分の感覚とはズレることもあるものです。

これは、「耳を貸さない」ということとは違うと思っていて、

人に言われた通りに一度試してみるのも大事だと思っています。

それでも「やっぱりしっくりこない!」
そう思ったときには、自分の感覚を信じてあげても、いいんじゃないかなあ?と思うのです。

ということで、
分散して生きる道を選んだ私でした( ・∇・)!

私のように、飽き性で困っている方に、
\\そのまま突き進んでもいいじゃない//
と伝えたくて、この記事を書いてみました。

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