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無駄になってもいいことしかやらない
何か目標に向かって頑張っている時というのは、「もしかすると、今やっていることは無駄なことなんじゃないか?」と感じる瞬間が、みなさんにもあるんじゃないかと思います。
そう思ってしまったら、目の前の作業が急にやりたくなくなって、今まで費やしてきたお金や時間さえも無駄だったのかと絶望的な気持ちになっていってしまうんですよね。
私もそうでした。
「こうなりたい」という目標はあっても、それに向かうあらゆる手段が、そこに到達するまでには何の役にも立たない”無駄なこと”なんじゃないか⁈
そう思えてしまって、何をやっていても落ち着かない。そんな時期がありました。
▶︎「無駄」ってなんだろう?
そもそも、「無駄」ってなんでしょう?
goo辞書で調べてみました。
「無駄」
役に立たないこと。それをしただけのかいがないこと。
また、そのさま。無益。
「無駄」= 「役に立たない」「無益」 ということみたいですね。
それなら、はんたいに 「役に立つこと」とか「有益なこと」ってなんでしょう。
↔役に立つこと
「役に立つ」って、何の役に立つこと、なんでしょうか?
なにか具体的な目的があって、そのために役に立つか役立たないかなら判断がつくかもしれませんが、
生きていくのに、役に立つか役に立たないかなんて、そんなこと分かるわけがないんですよ。
役に立つと思っていたことが役に立たなかったことだってあるだろうし、意外なことが意外なところで役に立った!なんてこともあります。
「人生の役に立つ」これは定義するには広すぎて曖昧すぎるんです。
「無駄なこと」というのも、やってみた先に「無駄だった」とわかっただけで、やっている時点では分かりようのないこと。
だから、無駄なことを避けようと思うこと自体、不可能なことなんじゃないかなあと思うのです。
▷役に立つことしか意味がないのか
森博嗣さんが、著書『集中力はいらない』の中で、こんなことを言っていたが印象的でした。
「三角関数なんか学校で教えても、社会に出て役に立たないではないか」と発言した政治家がいたらしい。
こういった発言は、「自分の役に立つことがすべてだ」という極めて集中した思考に基づいているだろう。自分や、自分の利益しか見えていない。それを言う人には、逆にこう尋ねたくなる。「あなたは、何の役に立つのですか?」と。あるいは、「役に立つこと以外に、価値はないのですか?」と。
音楽も絵画も、社会の役に立っているだろうか。
天文学も数学も、本来は役に立てようとして始まったものではあるけれど、それ以前に、その探求が人間の価値だったのではないのか。これは、役に立たない大学、役に立たない研究者を抱える社会や国家の価値を問うものである。そういった純粋な探求をする姿勢に、人は憧れるし、なんとなく清々しく感じるものだが、それはどうしてなのか。
役に立つことだけに集中したいのであれば、それこそすべて機械化すれば理想の社会になるだろう。しかし、そうではないことを、なんとなく人間は知っているのである。知っているから、そういったものに時間、労力、資金 を投じて探求してきた。
それが間違いだったと主張する人は、人間の価値を見誤っているのではないだろうか。
役に立つことにしか意味がない世の中なんて、冷え切ってて嫌ですよね。
集中とか効率とか、そういうのって良いもの?
そう考えさせられる本です。
▷目的と手段を見誤らないように
大多数の方は「幸せになりたい」と思って生きていると思います。
それなら、無駄に思えるようなことでも、その瞬間が幸せなんだとしたら、それは無駄なことではないですよね。
なんて、あたりまえのことなのに、できているかと言われると「ギクッ」とします。
たとえばこんなカンジ…
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こうやって、目的のための手段なのに、いつの間にか手段を目的だと思い込んでいて、
「楽しいはずの時間」が、「こんなことしていていいのか時間」になっている人が多いんです。
これは、時間やお金に人生の主導権を奪われている証拠ですね。
↔有益なこと
「無益なこと」のはんたい、「有益なこと」について考えてみます。
目の前に利益が見えていること。
たとえば、今日仕事に行けば確実に働いた分のお金がもらえるとか。
目の前に利益が見えていることをやっていくのって、やったほうが良いって分かっているので、考えなくて済むから凄く楽なんだけれど、でもあんまり楽しくない。先の見えること、誰かにエサをぶら下げられている感じ。
有益なのか無益なのかわからないものをやっていく。言い換えれば、無駄になるかもしれないことをあえてやる。そのほうがワクワクしますけどね。
↔効率的なこと
よく、「時間を無駄にするな」とか「効率的に」とかいうじゃないですか。
たしかに、世の中には意図せずとも時間を費やしてしまう中毒性のあるものがあるから混同してはならないんだけれども、
時間も忘れて熱中してしまうような体験、それ自体は無駄なことではないのではないかと思います。むしろ人生の楽しみそのものです。
「いつの間にか時間がこんなに経ってしまっている!」
そんなことを思ってしまうほど、夢中になれることがあればあるほど、人生は豊かになるんじゃないかなあ。そう思うんですよね。
この本を読んで、私は時間を無駄にすることって人生だなあと思ってしまいました。
▶︎「無駄」は結果のひとつ
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世の中のほとんどのことは、やってみないとわからないこと。
それが新しいことであればあるほど…
だから、無駄になることを恐れずにやってみればいいんです。
やらずに、「もしあのときやっていたら、成果が出ていたのかも」と後悔するより、やって「無駄だったなあ」ときづくことのほうがいいと思います。
「無駄だったと気づくこと」は、1つの成果であって、無駄なことでも失敗でもなんでもないんです。
そう思うと、ほんとうは無駄なことなんて何一つ無いんだと思えてきます。
「無駄だった」と感じる時っていうのはだいたい、お金とか時間を気にしすぎている時だったり、誰かのためを思って何かをしている時じゃないでしょうかね?
だから、そんなときは、自分のために何かをしよう。
▷無駄になってもいいことしかやらない
私もブログをお金や誰かのために書いていたときは、「お金にならないかも」とか「こんな記誰のためにもならないよ」とか、そう思えば思うほど苦しくなるものでした。
だから、自分のために書くことにしました。今こうして記事を書いているのも、ただの自己満足です。
ブログを書く以上、読み手にとってメリットのあることや読みやすく書くことは大事なんだけれど、書く動機の半分くらいは自分のためです。
それは日記のように、書いたらすっきりしたりとか、今までの自分の気持ちを振り返るため、記録のためだっていいし、
または、普段から意識したいことや知識を整理するためなど、自分が読み返すためのノートのような使い方でもいいと思う。
私たちは生まれてくる時に、「あなたはこれをしなさい。そのために生きているんですよ。」なんて言われたわけではないんです。
だから、お金にならなくったって、誰かのためにならなくったって、無駄になったっていいじゃない。
むしろ、「無駄になってもいい」と、そう思えることだけをやっていく方がいいんじゃないかなあと、思うんです。
「無駄になるならやらない」そう思うなら、そもそもやらない。そう考えるようになりました。
▶成果は消えてなくなる
お金になる、稼げる、というのは恐らく無駄なことではないんでしょうけれど、
稼いだお金だって、使い方を間違えれば無駄になります。
SNS上でどんなにフォロワーを増やしても、いずれ消えてなくなります。
本や作品を作ったというのなら、もしかしたら死後も残るかもしれませんが、せいぜい100年も経ったら忘れられて見てくれる人なんてほぼいないんじゃないかと思えてきます。
(もの凄い作品だったら何年も受け継がれるかもしれませんが、自分がそうなるとは思えないので)
そうやって考えていくと、私たちが今日「意味がある」と思ってやっているほとんどのことは意味がないのだとすら思えてきます。
▶今この瞬間が楽しいのがいちばん
結局、人生なんて自分が生きる100年の時間の経過、暇つぶしみたいなものじゃないですか。
だったら、自分が生きている100年のあいだ、楽しいと思える時間を少しでも長くすること、自分の大切な人たちが楽しいと思えること、
結局はそれが全てなんじゃないかなあと思います。
今目の前のことを、意味があるとかないとか考えたって、すべてのことは、意味があるし、ないんです。
だから、何よりも「今この瞬間が楽しい」
そう思えることをやっていければ、それでいいんじゃないか?
"意味があることってなんだ?"
そう考え続けて、行き着いた私なりの結論が、こうでした。
あなたはどうですか?