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春は別に青くない

先日、ひとつ実績を解除した。
「同人誌即売会に出て自分の本を売る」というものだ。

帰りしな最寄り駅から自宅までキャリーケースを転がしながら、私は頭上から「ピロン♪」と通知音が鳴るのを聞いた。


はじめての“将来の夢”?

って、みなさん覚えていますでしょうか。
私は覚えている。というのも、幼稚園〜小学校高学年くらいまでずっと私の夢はひとつだった。
それは「作家」である。

どうしてそう思っていたのかは、もうあまり覚えていない。
ただ言えるのは、空想が、そしてそれを文章にするのがとても好きだったということだ。

特に小さい頃は、話し相手のいないときずっと空想をしていたと思う。もしかして子どもなんてそんなもんなんだろうか?分からないけど、とにかく私はそうだった。

その空想が空想で終わってしまうのが嫌で、何かを必死に書き留めようとしていた。
自由帳に、折り畳んでホチキス留めした折り紙に、鍵のかかる引き出しにしまったノートに、私は物語(の赤ちゃん)を書きためていた。

けれども私は絶望的に飽きっぽく、そして「構成を考える」などといった地に足ついた能力がほぼゼロだったため、それらがひとつの形をなすことはついぞなかった。

そして長ずるにつれ考えなければいけないことは増えていき、まとまりのない空想を繰り広げる時間さえも取れなくなっていった。

年齢が1桁だった頃あんなに魅力的に思えた「書くこと」はだんだんその輪郭を失い、ぼやけて私の心から後退していった。

それこそ「やりたいことが見つからない」なんて平気でのたまえる程度には。

蛹が蝶になるところの……

“変態”という言葉がある。
この春私に起こったことを一言で表すなら、もっとも当てはまるのはそれだろう。

別にものすごく劇的なきっかけがあったというわけではない。
某アニメに凄まじい速度・深さでハマった、というだけである。

視聴後、本編を置き去りにして脳裏に広がっていく世界。同じように、自分にしか見えない景色を描き出す2次創作の先駆者たち。

ああ、私もこれがやりたい。
私はずっとこれがやりたくて、遠回りし続けていたんだ。先駆者たちの作品を拝読して、そう強く思った。

あとは一瞬だった。
とにかく仕事が終わったら、書く、書く、書く。合間にアニメを摂取、ゲームをプレイ。そしてまた、書く。

我ながら、少し前に流行った真田つづるさん「同人女の感情」っぽいな……と思う。
あの時は「新しい世界を見た……」と思っていたけど、まさか少し後に自分が全く同じ状況に陥るとは。夢にも思わなんだ。

少し話は脱線するが、私は“界隈”でよく言われている「自分と一番解釈一致するのは自分」という言葉が大好きだ。

すごい(ものすごい)先駆者は星の数ほどいる、でも私自身の感想は、そこから派生した物語は世界は、私の脳内にしか存在しない。
それを言葉(人によっては絵、漫画)によって形にしていく。
それを読んでくれた他の人が、また別の物語を生み出す。

こんな楽しいことがあってたまるか。本気でそう思った。

結局は、仕事やめてぇ〜

に、全てが繋がっていくね。

今の仕事が全然だめというわけではない。楽しいと思える瞬間だってある。

でも、とにかく苦しい。常に何かに追い立てられるようにして、時間が過ぎていくのだ。

ずっと音楽をやってきたからか、時々練習も何もしていないのにいきなりステージに立たされる夢を見ることがある。
そういうときは大抵焦りと恐怖で目が覚めるけれど、私が仕事をしている時の感覚はそれにかなり近い、という気がする。

何もできないししたくないのに、やることは毎日押し寄せてきて、それに流されるまま時間が過ぎていく……といった具合だ。

初めての本に載せる小説を書いていたとき、時計があまりに早く進むので驚いた。
仕事をしていても気がつけば夜中になっていることはままある。
でもその2つは全く違うのだ。後者が焦りから来ているのに比べて、前者は心地よい充足感に端を発している。

で、何?

書くことを人生の中心に据えられたら最高だな……ということが言いたかった。

文章力があるわけではないし、何より私は購買意欲を煽るような文句全般が好きではないから、ライターには向いていないだろうな……と思う。
かといってストレートに小説家になれるかといったら、それはまた夢のまた夢。

別に仕事としてでなくていい、自分の書きたいものを書き続けられる暮らしがあるとしたら、私はそれがいい!ていねいでなくていいから!

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