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自分を大事にするってむずかしい。

はじめに

この頃仕事を辞め、自由の時間ができた私。よくインスピレーションって何も考えてない時や頭がボーっとした瞬間に出てくるとか言いませんか?例えばシャワーを浴びてる瞬間だとか。私は直感に従って生きてきた様なもんで(そのせいでかなり痛い目にもあった)考えるよりも体が先に動いちゃう派なんですよ。今もまさにそうで、今ふと頭に浮かんだものを書いてます。そのテーマは題名にもしている、人生最大の課題って自分を大事にすることなんじゃないか?と大真面目に思ったので今日はそれについて。主観が多めなので苦手な方はご遠慮ください。


優しい人って自分には優しくない?

私は昔から人に恵まれているタイプで、目の前にはいつも力になってくれる人がいました。私は16歳で家を出て家なき子として放浪していたので私でもできる仕事をくれる人がいたり、体を心配してご飯を食べさせてくれる方がいたり。仏様の様に優しい人からたくさん助けてもらいました。お陰様でなんとかこうにか10代の頃の私は生き延びることができました。

私は昔から色んなことを深く考えてしまうタイプで10代の頃の私はある悩みがありました。私の周りにいる仏様の様に優しい人たちは、人に騙されたり、精神疾患になってしまったり。そんなことが多発したんです。なんで優しい人ほど報われないんだ。優しい人ほど騙されたり、都合よく扱われたり。なんて残酷な世の中なんだ。と世を憎みたくなるほど考え込んでいました。今思えば、確かに騙す人人を虐める人、人を陥れようとする人絶対的に悪い。卑劣な許されざる悪だと思います。けれど、仏様の様に優しい人たちは自分には優しくない人が多かったんです。

精神疾患になった人を例に出すと、朝も夜も働いてご飯はコンビニのおにぎりだけ。お金を稼いでも周りの為に使い果たしていつも金欠。しまいには身体と心が壊れてしまって一番仲の良かった私とも連絡が取れなくなってしまいました。今は精神病院に通われて元気になっていますが、その方が元気になった要因として自分を一番に大切にすることなんじゃないかと思いました。今その方は、精神的に病んでいた時に人生は短いんだ。死ぬ時に後悔しないように「死ぬまでにしたいことリスト」を考えたそうなんです。聞いた内容としては

・家族を美味しい外食に連れて行ってあげたい
・まだ行ったことのない場所に好きな人たちと旅行に行く 

など。死ぬまでにしたいことをちゃんと行動に移し始めた彼と最近会うことができましたが、他の人だけにお金を使うことを辞め、朝昼働いていた仕事を辞め無理のない範囲だけで仕事をやっていて、大好きなユーチューバーのヒカルさんが発売している靴や服を買ったり、美容室に行き髪を綺麗に整え好きな色に染めていたり、最近の話を聞くと仲のいい友達と旅行に行ってバンジージャンプをしに行ったと楽しそうに話してくれる彼をみて、精神疾患だったころとは全くの別人のようで、まずは自分を大事にすることが一番大事なんじゃないかと強く感じさせられました。

人は鏡

               カガミ

人は鏡という言葉を聞いたことはありますか?聞いた話ですが、神社で手を合わせるときには必ず鏡がありますよね。人は我がみんな強いから、我を抜けば神に近い存在になれるという理由で鏡が置いてあるそうです。(カガミ=ガを抜けばカミになる)ここからはあくまで私の考えになります。目の前にいるのは鏡に映るもう一人の自分じゃないか。どういうことかというと虐めてくる人がいつもいつも目の前に出てくるのであれば、自分が自分を虐めているからそれを気づかせる為にいじめてくる人が現れるのではないか、ということです。

人は鏡という言葉に出会ってから、強く目の前に現れる人たちのことを観察するようになり、目の前に現れる人がいい面も悪い面も自分と同じ点はないかを強く意識する様になりました。例えば飲食店で働いている時の先輩に私を虐めてくる人がいました。イジメの内容としては、同僚の子に「あの子は全員から嫌われてるから仲良くするな」と私の噂を流したり、作業内容を私だけ教えてもらえず仕事ができない状態に陥ったり。その子を観察していると、最初は仲が良かったのでよく話をしている時には、「自信がない」という割には、「男が私とご飯に行きたいとか話が出たら代わりに断ってほしい」と自信満々に言ってきたり。ふと、その子と自分を重ねてみたんです。そしたら「あ。私も心の底から自信がない割にバカにされたり、否定されると腹が立つし言い返したくなるな。てことは私は内的自己肯定感がめちゃくちゃ高いのかもしれない」と気づくことができたんですよね。人は誰しも弱いと思うし、どれだけ口が悪い人でも自分が傷つくことを言われたら傷つくと思いますし、ましてや虐めてきた人やトラウマを植え付けてきた様な人と自分を重ねるなんて、傷口に塩を塗る様な行為なのでおすすめはしません。ですが、これができるようになってから人は自分の悪い所は見えない様になっている。ということに気付き、どんな嫌な人が現れても、自分の悪い所を教えてくれるために学びとして大袈裟に表現するためにこの人は生まれてきたんだ。と嫌な人に対しても学びをありがとうと感謝できる様にもなったし、たくさん自分の悪い所を発見することができました。

といっても変わるって難しい

人は生まれながらにして親ガチャという言葉があるように、性格もガチャやと思うんですよ。昔は家族と自分は似ていない。似ているはずがないと思っていましたが、年々遺伝子には抗えないと強く実感しています(笑)なので人ってなかなか変われない生き物だと思うんですよ。私も実際たくさんの自分の悪い面に向き合って治そう治そうと努力しましたが、状態が悪い時だと悪いところが悪化しまくりです。え?なら自分の嫌なところに向き合うなんてただ自分が苦しいだけじゃん!と思うかもしれませんが、私はパートナーがいたとしてもし変わってほしいところが一生変われないとしてもこんな悪い部分が私にはあるんだと気付いてるのと気付いてないのじゃ雲泥の差があると思うんです。気付いてからは「悪い状態にならない為にはどうしたらいいんだろう」と考え、いろんな対策を考えることができるので気づく前の一歩先に行けてるような気持ちにもなり、「嫌な気持ちにさせてごめんね」と心の底から言えるようにもなりました。

変わる為のファーストステップは「気付く」こと。変わってほしい相手がいたら「気付いてもらう」こと。自分の悪い部分に向き合うのということはとても苦しいことです。愛って楽しいとか幸せなことだけじゃないですよね。なので自分の悪いところと苦しみながらでも向き合って相手の笑顔のために少しでもいい人間になる努力をすることは、「愛」そのものなんじゃないかと私は思います。神様がもしいたとするなら、大切な人の笑顔のために自分の悪いところと向き合う為にいろんな壁や課題を用意しているのかもしれないな。とも思いました。
あとは、苦しんだり傷ついたりしないと楽しいだけの人生だったら、楽しいものも慣れてきて楽しくなくなったり。楽しいばかりのぬるま湯に使っているような人生を送っていると、物事を深く考えることもなく成長がないのかもしれないなとも思いました。傷つくことはとても悲しいけれど、傷ついただけ人の気持ちがわかる様になったり、同じ痛みを分かち合うことができたり、人に優しくなれるんじゃないかなあとも思います。優しい人にたくさん出会ってきましたが、優しい人ほど人の為に動けたり自己犠牲ができる人が多い自分には一切お金を使わず推しに全財産使っていたり。(オタクめっちゃ好きです)

なので、どうかまずは自分を大切に宝物の様に扱ってあげてください。どんな時も自分だけはどの出来事も見てきたんです。同じ痛みを分かち合える人が見つかっても、全部わかりあうのは到底難しい。全部を分かり合えるのは自分だけ。全部あなたの行動を見てきて、悪いことをしたとしても自分のしたいように、動きたいようにこの身体は動いてくれます。自分こそ絶対に裏切らない最大のパートナーであり、一番大切にしなきゃいけない神様からのプレゼントなのかな。と私は思います。自分にハグを。

最後に

この記事が誰かの傷を抉ることにならないか、それだけが心残りですが、優しすぎる人に傷ついてほしくないからこそ、考えを押し付けたいわけでもなく、自分を一番大切にできる本当に優しい人になってほしいとの願いを込めて記事を書かせていただきました。優しい人が幸せに生きていけますように。



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