今が辛いとゆう誰かへ
今が辛いとゆう誰かへ
少なくとも仕事や何かで
僕と繋がってくれた人たちに
もちろんまだ見ぬ誰かへ
ふと思い立ったので
僕の話を少しだけ書こうと思う。
自分がまだ幼少期
物心もつくかの間もない頃から
22歳で一人暮らしを始めるまで
根っからの精神的虐待を浴びて
育った人間だと気づいて今朝目覚めた
まだ本当に小さい頃から
親の気に食わないことがあると
些細なことひとつひとつに対して
例えそれが小さな子供では
どうする事も出来ない事であっても
常に叱責されることが当たり前の中
「ごめんなさい。許してください」
と小さい体で泣きながら謝り続けさせられ
小学校2.3年生の頃には
両親の間に立って泣きながら自分の腹に包丁を向けて
「僕はなんで生きてるの?死にたい、死にたいです」
と両親に訴えかけていた記憶や
父親からは暴力による虐待も受け
名前の代わりにブタと呼ばれ
馬乗りになられて包丁でビンタされた事もあった
母親は祖母の代からの新興宗教に
どんどん熱心にのめり込んだ
その影響により友達だったクラスメイトからも
突然差別とイジメを受ける事もあった
原因はもちろん、親から親へ
そして親から子へと伝わる悪印象だ。
ここまで生きてこられたのは
紛れもなく自分のメンタルのお陰だと思っている。
感謝したいのは山々だが
過去の自分が生きていける様に
自分を守ってくれたのは
間違いなく自分だけだったからだ。
何とか僕は自分の力でここまで
生きてくることが出来た。
自分なりに沢山の夢も叶えてきた。
当然周りから見れば、とゆう
全く無関係な目線や物差しで言えば
沢山の失敗もしてきたと思う。
ただ根本にはずっと、
独りになってはいけない。
1人で生きることは大切でも
独りでは生きていけない。
そう思い続けてきた。
その中でやっと今、
周りにいる人に感謝できる様になった。
まだまだ不安になる事があっても
自分に対する考え方や自分の物事の捉え方を
見つめて寄り添うことが出来る様にも
なってきた。
つまり大切なことはきっと
何を想うか。
そのひとつなんじゃないかと思う。
僕の中のいちばん真ん中にあることは
幸せになりたい
ただそれだけだ。
自分なりの幸せにたどり着く事だけは
どんなに辛く苦しかった子供の頃も今も
ずっと変わらずに想い願い続けている。
こうじゃなきゃ幸せじゃない!
そんな風に決めつけてしまうことは
自分の可能性を狭めたり
本当に自分が満たされる所から
自分を遠ざけてしまう、みたいな
一般論があるけど
それは本当にそうなんじゃないかと思う。
きっと自分にとってのいちばんは
自分1人の中からは産まれてこない。
それは人頼みとゆう事ではなくて
独りよがりかどうかの違いだとゆうこと
自分が必要とされたい
必要とされない
とゆう承認欲求が
医学的にも人を追い詰めるとゆう事が
わかっているらしい
本当にその通りだと思う。
だからこそまずは自分が自分を大切に
仕事も含めて何かで満たそうとする前に
まず1番自分を気遣ってあげること
その中で人に目を向けられる様に
なってきた時にきっと
自分が必要とする人との
佳き出逢いがあるのでは、と思う。
それは自分の両親家族との
関係の場合もあるだろうし
友人や恋人が出来ることもあるだろう
ただその時にはちゃんと
自分の目線で、自分の物差しで、
本当に自分が必要とする人間関係を
結んでいくことが大切だと感じる
その積み重ねのなかで
先々歳を重ねた後で
自分にとって大切な人たちに
自分も大切にされながら過ごす
佳き晩年が待っているのだろうと
人生は、諸行無常だ。
うまくいかない事だらけだ。
何も当てになんてならない。
ただその中でも1つだけ
当てにできることがある。
それは、自分だ。
自分自身だ。
裏切らないと決めて付き合えば
自分は自分を絶対に裏切らない。
世の中にある唯一の絶対だろうとも思う。
自分に裏切られた、と
たまにダサいカッコつけを言う人がいるが
それはつまり自分の責任て事でよろし?
とゆう話なわけで
つまり自分との付き合い方を変えれば
自ずと自分の行動も言動も変わり
何より人に惑わされなくなる。
強さが全てでは無いから
頼れる人がいたら頼るに越したことはないし
そうすればそこで学びもあって
感謝することを知る事もできると思う。
僕は一人じゃない。
やっと今こう言える本当の強さに
近づけた気がすることは
自分にとってとても誇らしく
何より自分の周りにいる人達のことも
改めて誇らしく想う。
結局のところつまり
どんな残酷で過酷な人生を生きてきたとしても
本当に自分の願いを願うことを忘れなければ
必ず自分の思った通りになっていく。
例え時間がかかったとしても。
まだ僕も叶えている途中だけど。
終わり良ければ全て良し。
ネガティブな日もある。
そんな日は、暗い自分の隣で
静かにその自分の話を聞いてあげる感覚で
自分からのSOSに耳を傾ける。
何ひとつ否定する必要なんてない。
誰も悪くない。何も悪くはない。
あなたが生きてきた今日までは
何ひとつ間違ってなんかいない。
それは紛れもなく
今こうして今日も生きているあなた自身が
死んでないって事がその証明だ。
産まれてきた何の罪もない命に子供に
罪を背負わせるのは
背負わされた記憶のある人達だ。
でもその人達も悪者ではない。
その人達もまた
背負わされてしまった過去があるから
わからなくて同じ事を繰り返しただけだから。
僕はこれまで自分の家庭環境が
極めて複雑で珍しい環境であったことに
つい最近まで気づこうとしていなかった。
とゆうことに気がついた。
だから親を悪く言ってはいけないとゆう
一般論だけがこのクソ真面目な性格に
お札の様に貼り付けられて封印されていた。
しかし冒頭に書いた
「ごめんなさい、許してください」
と謝っていた小さな頃の自分のモノマネをして
よく嘲笑っていた親に対して
何の罪もない小さな子供だった自分を
傷つけ続けた事を謝らせようとしている夢で
今朝目が覚めたことで
ここに書く事を決めた。
そしてこれまでの丸33年間は
本当に本当に辛く険しく厳しかったが
そのお陰でもう苦労する事はないと
思っている。
もしまだそう感じる事があれば
それは捉え方の問題なだけだろうと。
人生は所詮、長すぎる暇つぶしだ。
気楽に行く方が絶対に楽しい。
どうせやらなきゃならないことは
やらざるを得ないんだから。
気楽に
自分をいちばんに気遣って。
それでいこう。
誰の言うことも聞く必要なんてない。
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