【自分を護る為の捉え方】(心を守る為)に(お金が重要)だという場面を見た話
つい先日もニュースで見かけた。
高齢者夫婦ふたり暮らしの中での介護生活で
その日々の大変さを十数年、数十年と続け、
物理的な限界を迎え、精神的な限界を迎え、
夫が妻を、妻が夫を、手にかける事件。
とても平たく言えば、
身体が不自由になったり
記憶がなくなっていく夫や妻。
周りに頼れる人もいない。
その介護をしながら
収入源がなくなったり、金銭的な限界も迎える。
物理的に、
人の手が借りれないこと
金銭的な限界を迎えてしまうことで
最後は精神が崩壊し
最愛の人を手にかけ殺してしまう。
僕は昨日の昼間
車椅子に乗った高齢の女性を1人で押して歩く
高齢の男性の姿を街中で見かけた。
恐らく80代前後の夫婦。
男性は確実に80代以上。
懸命に、とても押しづらそうにしながらも
車椅子を精一杯押していた。
僕の勘違いでなければ、あの姿は夫婦だろう。
金を稼ぐことについて
何故かわからないが
拝金主義のような"とにかく金"
という価値観が僕は昔から大の苦手で、
そんなにも金、金、金。
金が欲しい金が欲しいとなる心に対して
"強烈な卑しさと嫌悪感"を感じていた。
しかし、その目線では一生気づけなかった
「お金を稼ぐことの本質的な意味、意義」
についてふと気がついた。
それは
「自分の繊細な心、最も大切な心を護るために
お金はとても重要なのだ」ということ。
自分の人生を安心して送るために
心穏やかに暮らすために
金を稼ぐ必要があるのだということ。
そしてその「安心」のために
「金を稼ぐ」人たちが沢山いるのだという事。
しかし恐ろしい事に、
そこに付け入る隙が生まれてしまうのは
自分の必要以上に「金が欲しい」と
よく昔から言う「金に目がくらみ」
道を踏み外したり、何かに巻き込まれる人も
たくさんたくさんいるのだということ。
人の心理を巧みにあやつる詐欺師が
世の中そこら中に溢れている。
最後に
僕らのような
「芸術」や「芸事」の道を選ぶ多くの若者が
"金がなくても楽しい日々" を送り
そしていつかその日々の終わりを感じる。
しかしその時に、絶望するのではなく
どんな風に生きるとしても
必ずその先がまだまだ続く。
もしも生涯その道を生きるとしても
また別の道を生きるとしても
「自分が自分にとって本当に大切におもうこと」
それを護ることが自分自身を護ること。
「こんなにやってるのに」というのは
本当はもう辞めたくて仕方ないことかも知れない。
そうではなくて
「すべてを失くしたり手放した後も自分に残るもの」
それが自分にとって本当に必要なもの
例えば僕にとってのそれは
「映画」を中心とした創作表現活動だ。
僕はもう死ぬまでこれだけは
辞めないし手放さない。
そしてその自分の心を護り
自分自身を護るために
ちゃんとお金も稼いでいく。
おしまい
2024年7月14日(日)
二階堂 新太郎