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期待は地獄のはじまり/俳優としての人生考察
物事にも人にも「期待」してはいけない
とゆう言葉の本質について
「期待」とゆうものは
自分がすべきこと、出来る限りのすべてを
やり切っていない時に生まれてくる感情である。
やり切った人間、出し切った人間本人からは
「期待したんですけどね」
とゆう言葉を聞いた事がない。
あらゆるスポーツの大会の生放送などでも
選手自身が傍観者的に
「期待」とゆう言葉を使う場面は
34年生きていて観た記憶がない。
「期待」とゆう言葉を使うのは
当事者ではなくコーチや親や関係者など
周りの人間だけであろう。
またここで重要なのは
「自分自身に期待する」ということの意味と
「結果に期待する」ということは
全く持って意味が違うとゆう事である。
「結果に期待をする」とゆうのは
周りの人間、つまり観客であり
当事者ではない、とゆう事。
これはわかりやすい例としてスポーツを挙げたが
あらゆる仕事、
家族、友人、恋人、夫婦などの対人関係
人との付き合い交流の中でも
先方や「相手に期待をする」とゆうことは
つまり自分自身ではどうにもならない事を
外から見ているしかない、とゆう事なのである。
だから自分へのメリットなど
期待してはいけないのだ。
それが返ってくるか、とか、
受け取れるかどうか、とゆうのは
相手次第なのだから。
そこを理解出来ていないから
周りの出来事が思う様にいかないと
大半の人たちは嘆き苦しむ。
Go to hell なわけだ。
うん、実にわかりやすいな今日の文章は。
自画自賛。
笑
じゃあどうすればいいかって?
いま自分が何と向き合って何を磨いてとか
自分自身とどう適切に向き合うか
その作業とそこで見つけた事に取り組む他に
どうするも何もやることなんて無いだろう
もともとがそもそも本質
やることなんてないんだから。
自分自身の中にしかないものを
自分で見つけるしかない。
人生はそんなもんだ
おしまい