幸せを願う事の本質
ある意味自己犠牲的なのかも知れないけど
自分の中にある本質
俺は自分の周りの大切な人が
誰も得する事のない、
むしろ本人も周りの人間も
損しかしていない事を
気づいてもらいたいと本気で想う事がある。
そしてそれは
本当に幸せを願うからこそ
黙って見ている事に耐えられなくなってくる。
そうするともうスイッチが入る
別にどっちでもいいや
と。
あなたが私を嫌いになろうが
何だろうが構わないけど
あなたが今まで続けてるそれは
あなたもあなたの周りも不幸にする事だから
今すぐにでも辞めたほうがいいよ、と。
最終的にそこまで振り切れる。
正直いまはそのくらい
自分の中でマグマの様に沸騰している事がある
だから近いうちにもし
僕が怒る様な事があったら
兎に角それだけあなたには
幸せになる権利があって
幸せになってもらいたいんだという
僕からの本気の応援だと思ってもらいたい
そして人の幸せを願う本質は
「自分がどう思われても構わない」という
相手の幸せを願い
行動する事だけをど真ん中に持つ事が
幸せを願うことの本質では無いかと感じた。
表面的な事ではなく
対外的な事ではなく
大切な事は常に本質。
嫌われないようにしようとか
離れないでいて欲しいとか
そういう種類の感情というのは
依存や執着でしかないというのも
また、本質。
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