春を待つ
外された充電器と、まとめられたiPadと携帯、私が渡したポケットWi-Fi。
昨日までは枕元に置いてあったその機械たちが、到底動けないベッドから手を伸ばし手も届かないところにまとめて置いてあって あれ、どうして?
と思った。
病院のエレベーターを待つ時間さえ惜しくて駆け上った病室への階段も、
無理やり駐車場じゃない場所に止めた車も、信号無視した道も、私の焦りとは全くもうずっと前に父は死んでいたのだ。
延命措置をしません。
って、そうか、そう言う事なんだ。
とほんのり温かい手に触ってやっとわかった。
できれば息をしててほしかった
私の前でスッと心臓が止まって欲しかった
待ってて欲しかった
だって私が娘なのに。
だって私が最後の家族なのに。
というのはそれはもちろんエゴである
見送る側で残される側のエゴである。
ただ電話のあった30分後に息を切らせて駆けつけた娘の前に「この辺は片しておこう、もう死んじゃったからね」をまざまざと見せつけられるベッド付近の事務整理は、思ったよりもというか、多分一生忘れられない気がする。
別にもう、家族は誰もいないから
誰に言わなくたって良いのに
「お父さんが死んじゃった」と
誰に、どうか誰かにこの動揺と悲しみを
それから、これからわたし残された大変でしょう?という目に見える同情を伝えたくてもう全然父と関係ない人に電話をした。
「ええ、嘘どうして...」
と、電話口の最も正解に近い嗚咽が聞けてから
「私1人じゃないかもしれない」と思ったのである。悲しいの私だけじゃないよね、でも、でもお前になんかわかるものかという、
一人っ子特有のあれ。こんな間際でも、私は私が可愛い。
「しょうがないね」と言ったら
「しょうがないなんて言わないで」とぐしゃぐしゃに泣いてた遠い親戚。
じゃあなんて言えばいいんだ?
苦しまないでよかったね?
親孝行もできなくてごめんなさい?
父は痛かったよ私に言わなかっただけで
父は寂しかっただろう私に言わなかっただけで。
どこの葬儀屋にするかって
一時間も悩んだ。
母の葬儀と、犬が死んだ夜にも来た同じ人が
父の葬儀に来てくれた。
私の家族の、私以外がみんな死んでしまったので、あとは私の葬式に出たらコンプリートじゃんおまえ。などと思いながら式は終わり、
ゴカゾクノカタだけが確認する「はいよく焼けてますね」っていう火葬炉オープンホヤホヤの骨を見て。
あれって1番嫌じゃない?
何で1人で「はいよく焼けてますね」みたいな確認しなきゃいけないのかな。みんなでやろうよ、それかもう骨をごしゃごしゃにしてから持ってきてよ。
あれが1番嫌だよ。でももう無いからよかったよ。
そんなことを淡々と終えて、おかーさんの時はこうだったなあとか思って。
だけど誰もいない家に、もともと誰も待っていない家に帰ってきて、すごく良い布団とベッドに身体を倒して目を瞑ったら今年1番よく寝れた。
多分ここ2年1番よく寝れた。
それから解約祭りが始まって。
携帯の解約も年金の解約も保険の解約もぜんぶ。
ぜーんぶ解約、理由死亡。
丸がつけられるから便利だね。
いろんな人が気遣ってくれて連絡くれて
もう少しすると半年になってしまうが
仕事も始めて、何にもない日が始まっている。
父がいないだけの何にもない日が。
まるで
まるでまだ、実家で病床に臥せっている父親を思う日がある。
朝起きた瞬間に「お父さんに連絡しなきゃ」と跳ね起きる日がある。
自分で逃げたくせに、俯瞰で見たくせに。
他人事だったくせに。
まだ心配している。
もういないのに。
何も心配はないのにね。
まだ半年でもう半年で、ずっと1人のふりしててついに1人になってみたら悲しくて病んじゃったりするのかな?などと思っていたけど、
そんなことなにもなかったよ。
スーパーに行くと泣きそうになるし
クソみたいな茶番のドラマの
そんなシーンでさえ見てられないのにね
お酒をいっぱい飲んで
どんどん離れていくいろんな人たちの話を
別にもういいやなんて思いながら全然死ぬ気はないけど。
「本当に1人になっちゃったんだね!?」
と言った、君たちが早く1人になりますように
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