なんとなく季節が流れていくのが怖かった
自粛、は桜の季節からはじまった。
家にいる期間が長いと、今までは当たり前に街中で目に入っていたウィンドウや広告の季節を感じる景色。
それはトレンドの季節の洋服だったり、大手旅行会社の広告だったり。
長い梅雨が明け、夏になっても東京は砂漠のように暑いだけで、花火大会すらない夏だった。
お盆過ぎ、いつもならなんとなく秋っぽい色の服に衣替えしていたが、なんだかそんな気にもなれず、結局9月に入って体感気温が涼しくなるまで同じ夏服を着まわした。
体感として気温がよく分からない。
表に出ると薄着過ぎたり、厚着過ぎたりすることが今年は異常に増えた。
特別遠出をしなくても、近場の大きな公園や施設で季節の花や紅葉、イルミネーションに出くわすことも当たり前だった。
……そういえば。すべてこの一言で片づけてしまうことは容易である。
わたしたちの周りの世界には、“季節”が当たり前に広がっていた。
季節を感じるインテリア、小物を買うことが増えた。
カレンダーの文字でしか感じられない時の移り変わりに、小さな抵抗をしたくなったのかもしれない。
知らなかった。何となく季節が流れていくことはこんなにも怖いことだなんて。
日本は四季があるから、四季折々のイベントを好むだなんてよく耳にしていた。
文字通りの意味しか理解していなかったが、今年そのほんとうの意味を実感した。
今までのように人と会いづらいことももちろんストレスだ。
だが、今の時代オンラインでうまく繋がりを持つことである程度はしのげるもの。
でも季節の風の匂いや絶妙な空模様は、どうやっても画面越しではしのげない。
あぁ、季節の持つパワーに、こんなにもわたしは支えられていたのか。
きっと数年すれば、なんらかの新しい解決策が登場して、以前のような生活になり、数十年も経てば今年のことなんて歴史の一部分になるんだろう。
“あのときは”なんて笑ってみんな片づけてしまうんだろう。
そんな未来のわたしたちの笑い声が聞こえてきて、現在のわたしは悔しい。
このさみしさを、この孤独を。
色あせてゆかぬよう。
大切なことを、忘れてしまわぬように。
サスティナブルなアイテムを購入しようかな///