知識のネットワーク
頓悟のとき
「知識のネットワーク」という概念に私が初めて触れたのは、小学校5年生のころに中学受験のためにE塾に通っていたときのことである。それは確か理科の授業のときであったが、そこで私は大いに知的好奇心を掻き立てられたことを今でも鮮明に覚えている。その時の理科の先生(以下N先生)の発言は概ね以下の通りであったと思う。
空気中の窒素から肥料を作ることができる根粒菌という存在に驚いたうえ、これまで点のように覚えることに苦労していた個々の知識に一種のストーリーがついたことでスッと覚えることが出来たことに衝撃とともに喜びを感じたことを覚えている。それからというもの、教科という枠組みに囚われずに知識の単なる丸暗記に留まらず個々の知識の間にストーリーを与えて架橋することで知識のネットワークを作るという作業を続けている。
現在
そして現在、私は某塾で国語科の教員としてバイトをしているが、生徒の頭の中に「知識のネットワーク」をいかにして形成するかということを日々試行錯誤している。もちろん、バイトの身分で教育の仕方をとやかく考えることに違和感や一種の嘲笑にも似た感情を覚える人がいることも想像に難くないが、私はあれやこれやと常に思考を巡らせていないと落ち着かないタチなのでご容赦いただきたい。先日の授業では「至言」という正答に対して「資源」「始源」などの誤答が多かったので以下のような説明を試みてみた。
熱心にメモを取ってくれた生徒やうんうんと頷く生徒、反応は様々だったものの概ね全員に理解してもらえた様子。その上、数名の生徒が「先生の授業面白い!」と言ってくれたので嬉しくなりました。ところが、ここで一人の生徒から質問が。
なるほど、その生徒は「一番」という単語はポジティブな意味でのみ捉えていたのでしょう。受け身で授業を聞いているだけでは絶対に出てこない質問に私もテンションがあがり、黒板に長めの矢印(人生を表現しているつもり)を書いてから以下のように説明。
彼の質問のお陰で、「至」という漢字のイメージがより正確に共有することが出来たと思う。
そして再びゆずり葉の木の下へ
大学の講義や両親、友人との交流を通じて絶え間なく譲られている弱冠二十を少し過ぎた私。これまではお金も食べ物も知識も全てが譲られたものだった。しかしバイトを始めてから、少しずつ譲る側へと否応なく変わっていくのだということを実感。何か自分の残した作品や発明が後世に残ればどれほど幸せか。そのように考えれば、バイト先の生徒たちにかける言葉が少しでも彼ら彼女らの受験結果はもちろんのこと、人生にとって少しでもプラスになればと願ってやまない。