毎日エッセイ:努力しても才能がなきゃ報われない
幼稚園年少から小学校低学年ぐらいまで、サッカーと水泳を習わされていました。しかし、どちらもヘタクソで、大して上達しませんでした。もう「才能がなかった」としか言いようがなかったと思います。水泳教室では、後から入ってきた年下の子に階級を抜かされました。この経験は幼かった僕に大きな屈辱を与えました。
それ以降も、とにかく運動ができませんでした。跳び箱は4段跳べるか怪しかったし、上り棒も登れない。ボール投げは全然飛ばないし、速さも出ない。体力測定は、色々な項目で女子の平均値を下回っている。他にもエピソードがあったはずですが、思い出してたら惨めになってきたので、この辺でやめます。
とにかく、運動の才能のなさを、幼少期から痛感させられていました。「才能がない」と言うより、「才能がマイナスになっている」といった方が正しいかもしれない。このレベルなので、部活でレギュラーに入れず、補欠になっただけで「才能なかった」と言っている人たちには腹が立ちます。彼らに「才能が足りなかった」のは確かかもしれませんが。
こんな経験をしたため、「努力しても、そもそも生まれついての才能がなければ報われない」という考えが、ずっと頭の隅にあります。
こういうことを言っていると、それは努力不足だおじさんが「それは努力不足だ」と言ってくる。「ある程度運動ができる肉体」を持って産まれて来れている自覚がないのでしょう。いいよな・・・才能がある奴は・・・
当然のことながら、努力が全く無意味と考えているわけではありません。努力をしなきゃ何も始まらないですから。ただ、才能がない人間にも理解を示してもらえるような世界になればいいな、と思っています。
こんなことを、最近真剣にスプラトゥーンの練習をするようになって考えていました。トップ層には到底及ばないですが、なんとなくやっているだけである程度上達していた僕は、一応才能がある側なのでしょう。前述した、部活の補欠止まりの人間みたいな感じですね。僕の実力は補欠の補欠の補欠みたいなレベルですが。
↑練習の参考にしている動画
しかし、今まで前作を含め1000時間以上プレイしてきているので、もう伸びしろはないかもしれないです。それでも「ちょっとでも上手くなれるかもしれない」という僅かな希望にかけて、努力をします。これでしばらくしても上達が見込めなかったら諦めます。