Vol.7 Som das Luzis/Pedro Kastelijns〈今のところnoteでまだ誰もレビューしていない名盤たち〉
Som das Luzis (2019) Pedro Kastelijns
Pedro Kastelijnsはブラジル出身のアーティストで、少なくともこのアルバムの完成時はオランダのアムステルダムを拠点としていた。このアルバムは地元のサイケデリックバンドであるBenke Ferrazから機材を拝借して約5年もの歳月を掛け、ほぼ自室のみで完成させた。彼のInstagramを見るに現在2枚目となるフルアルバムがほとんど完成しているとのこと。レコーディングが終了し、ミックス等の各部の調整でも行っているのだろうか。
ここまで彼に関する情報を羅列してきたが、案の定上に挙げた情報が現在インターネットで彼が明かしているものの全てだ。あとはアルバムに関するこのインタビューくらい。これ以上捜索するとネットストーキングになってしまう。なので、ここからはあくまでアルバムから抱いた印象に終始したものを語っていこうと思う。
最初に聞いたのは2年前の冬、このアルバムが発表された直後だった。僕がTwitterでフォローしている音楽オタクたちの界隈で一気に火が付いた。当時はブラジルの音楽を全く聴いていなかった僕でも非常に興味を惹かれるレビューばかりだった。何せ比較されていた対象がPink FloydにTame Impala、はたまたCanなどの錚々たるメンツで「だったら聴くか~」と思って再生した覚えがある。
本当に陳腐な表現になってしまうけど、一曲目からブッ飛んだ。そこからの36分間は目の前の視界と自分のインナーワールド、そして彼の精神世界の3つが攪拌されて混ざり合ってとうとう戻らなくなっていた。それは完全にバッドトリップで、年の瀬まで気が触れそうになっては慌ててこれを聴く生活が続いた。当時の光景もはっきり覚えていて、どの道を歩いてどの橋を渡ってそこでどんな人を見かけて等々の光景が脳裏にこびりついてしまった。僕にはこの音楽の要素を他と紐付けて考えられるだけのアイデアがあったからまだよかったものの、そうでなければ完全なトラウマ体験だっただろう。
相当にエモーショナルな文章になったが、確かに当時はこの数倍の感情をこのアルバムから搾り取られていた。体の芯が焼けただれるほどの感動と多幸感を何度も味わった。あれから2年経ち、以前よりかはこのアルバムをより系統立てて語れるようにはなったが、それでもこのアルバムの魔法は依然として有効だし、むしろリピートするたびに輝きが増すような気さえしている。
このアルバムには強固なサイケデリアが潜んでいること、そして単純に彼がブラジル出身であることから安易に60’sブラジルのトロピカリア運動と接続してしまいたくなる。確かにサウンド面ではその年代のカエターノ・ヴェローゾやムタンチスと近いものはある。しかし先のインタビューを参照するに、彼は自分と世界との対峙との記録としてこれを作成したという。この点において、軍事政権へのプロテストを表明する社会運動の一環としてムーブメント化を図ったトロピカリアとは異なる。精神性ではスピリチュアルジャズ、特にインナーワールドの追求とその手立てとしての東洋思想を混沌とした音にぶつけたコルトレーン夫妻が近いとは思う。
冒頭の深いリバーブとフェイザーがかかったギターの音色がなった瞬間に極彩色の世界がパックリ開き、粗野なビートとハミングする歌声に誘われたら最後、36分後までその出口は開かれない。その世界ではTame Impala~Unknown mortal orchestraに通じるザラついた質感のガレージロックやMBVによって拡張された轟音ギターの安らぎ、はたまた先に挙げたCanやAmon Düül IIがロックに取り入れた意欲的なビートもある。音の質感だけで言えばTame Impalaの1stが想起される、特にハイハットの音とか。
意図的かどうかは定かではないが、音の輪郭がグニャグニャになるまで汚れているのは単なるサイケデリック効果を超えた、言葉を超えた欲動の潜伏を想起させる。この汚れた音によるエモーショナルな効果については、小鉄昇一郎さんのTyler,The CreatorのIGOR評が詳しい。曰く、MP3のような解像度の低い音はもはやノスタルジーの対象であり、そのローファイさは青年期の思い出や感情の揺れに接続される。IGORはその汚れと流麗なソングライティングのギャップによって青年期との送別が行われていると推察されているが、この汚れの感覚だけを純粋に磨き上げて、剥き出しのインナーワールドを表現仕切ったのがこのアルバムだと僕は思う。まさかPedro KastelijinsとTyler,The Creatorを比較して語るとは思わなかったが、海を隔てたこの2人はその点において同じものを共有していると思う。
もちろん様々な人に聞いて欲しいのだけれど、一番はサイケデリックロックに熱を上げている人に聞いて欲しい。100発100中で惹かれるものがあると確信している。そして、何より西欧と日本以外にも多くの素晴らしい音楽があることを改めて実感していただきたい。