浪費そのものが意味となる|フレグランス書評 vol.2:渡辺昌宏『香りと歴史 7つの物語』
芳香は常に一方通行だ。手首へと過剰に振りかけた『CK one』は、振りかけた本人であるあなたよりも、電車で隣の席で座った見知らぬ誰かの方が、遥かに鋭く芳香を感じている。鼻をつまんだり息を止めでもしない限り、そのシトラスの匂いを拒否することはできない。しかも厄介なことに、香りの“初回“は原則的に拒否できない。せいぜい《この人ってこんな匂いしそうだな》とか《この料理はこういう匂いだろうな》という判断に基づいた予感がつけられるくらいで、それが当たっているか否かは一度嗅がないと永久に判断できない。私たちが悪臭を認識するとき、感情は嫌悪感で既に満杯だ。だからこそ、匂いに関する問題はセンシティブになりがちである。
この、一方向的で感情へとダイレクトに流れ込んでくる芳香を、ひたすら消費し続けた人々がいる。『香りと歴史 7つの物語』で垣間見ることができるのは、そんな浪費家たちの喧騒の影だ。
本書のプロローグでは香料/香水の成立過程などが簡潔に説明される。岩波ジュニア文庫というレーベルらしく、平易な内容だ。その後に語られるのがタイトルにある「7つの物語」。ナポレオンや楊貴妃、織田信長など歴史上の人物が愛好してきた香料を中心に、古今東西の香りにまつわるエピソードが展開される。随所に豆知識的なワンポイント解説が挟まり、章末にはその香りと紐づいた文学作品の解説が付されるなど、香りの伝記本としてつまみ読みしてるだけでも十分に面白い。
その中でも目につくのは、具体的な香料の使用例だ。例えば第一章では、乳香の名産地であったシバ王国(現在のイエメン)を巡り、古代ローマ帝国や地中海の諸国が輸入量/使用量によって権力を強調していたエピソードが紹介されている。(p25)乳香が宗教儀礼のための道具だったことを勘案しても、《贅沢品の消費を明からさまに主張できる》という点で、香料が国家にとって絶好の“象徴“だったことは想像に難くない。浪費それ自体が意味となるため、香料は贅沢の象徴として重宝された。そこに実体はない。その証拠に、ローマ帝国がキリスト教を国教とした4世紀末以降、乳香は宗教儀礼の道具としての役割を終えて“象徴“から離脱し、その交易を主たる産業としていたシバ王国は衰退の一途を辿ることとなる。(p30)
国家のみならず、個人の権力の象徴としても香料は用いられてきた。織田信長が切り取りを強行した香木の蘭奢待(第三章)、バラを豪奢に用いたクレオパトラや暴君ネロ(第五章)など、本書では歴史上の偉人たちが愛した香料が紹介されている。権力者が焚き、纏う芳香は、やはり一方向的であり、他者の嗅覚に対して専制的ですらある。彼らは限られた匂いを《嗅がせる》ことによって、経験的にその権力を強調することができた。
富裕層や貴族の需要によって、香料の収集はビッグビジネスとなった。18世紀のヨーロッパでは「プラントハンター」と呼ばれる収集家が雇われ、世界中の花の香りをハントした(p110)。天然のムスクやアンバーグリスといった希少な動物性の香料は高値で取引されるため、狩猟や贋物の販売が横行した(後年、それらは動物虐待の観点から国際条約によって取引自体が禁止されるようになった)。
香水の構成要素である香料の歴史は、浪費を求める人々の欲望によって駆動されてきた。逆説的に広義の贅沢品の要件とは“何にもならなさ“にあることを、その香料史から読み取ることもできるだろう。高価なジュエリーも、いたずらを時間を食い潰すスイカゲームも、“何にもならなさ“が徹底して担保されているからこそ、際限のない浪費が可能になるはずだ。贅沢は生活の糧だ。『CK one』は振りすぎるに限る。