見出し画像

betcover!!『卵』に関する、ひとつの大きな誤読といくつかの放言

 2月6日に渋谷のWWW Xで行われた、betcover!!の4thアルバム『卵』のリリースツアー<画鋲>の東京公演を観た。そして今、そのあまりに大きすぎた衝撃を、どうにかして体の外に逃がしてやろうと、このiPadの薄いキーボードを叩いている。柔術で受け身を取るのは、痛みを和らげるためではなく、受けた衝撃を体の外へと効率的に放射させて致命の傷を負わないためであるという。ちょうど同じ気分だ。私がこの薄いキーボードを使い、あの夜に柳瀬二郎が発したどの言葉よりも愚鈍な文句を連ねて、あろうことか簡易的な推敲も並行させつつ、白い画面を黒く塗りつぶしているのは、致命の傷を負わないためである。帰納的に、これは危機に瀕した動物が一般的に起こす生体反応であると解釈されて然るべき代物だ。きっとステージの上にいたあの男たちは、こちらの肉を完全に断ち切って、口を開くことさえままならない状態にしてしまいたかったことだろう。だが私はそれを髪の毛一本、もといiPadのキーボード一枚のところで反射的に回避した。つまりここにある文章はくたばり損なった残党の戯言であり、そこに意味や考察や批評的価値を見出すかどうかを強制する権限など私には一切無い。ただ残党が、残党らしく放言を繰り返すだけである。


 卵とは一体何か。いや、音楽作品のことではない。今私が打ち込んだ「卵」という文字についてだ。ひらがなやカタカナに対する漢字の優位性は、文字に宿る意味を宙吊りのまま保留させられることにあると、私は考える。もしここまでの文章を音声入力ソフトによって、オーディオブックのように読み(聞き?)進めてきた奇特な御仁には、この問いかけの意味がわかるまい。「卵」という言葉には「たまご」と「らん」というふたつの読み方が開かれている。極めて厳密な意味に則れば、このふたつの言葉はほぼ同じものを指す。しかし広く共有されている前提として、卵生ないし卵胎生の生物が生み出し、外形的な膜や殻に覆われたものを我々は「たまご」と呼び、「らん」と呼ぶときは雌の体内に宿る生殖細胞のことを指し示すのが一般的だ。「たまご」は外形的な膜や殻でもって世界を縁取るが、「らん」は雌の体内にすっぽりと格納されている。


 さて、『卵』をどう呼ぶべきだろうか。ひとつ先に伝えておくと、柳瀬二郎はこのアルバムを「たまご」と呼んでいる。それはちょうど1年前に行われていた恵比寿LIQUIDROOMでのワンマンライブ<危機>で、彼がそう発音して以降、一度も揺らぐことは(少なくとも自分の観測範囲では)なかった。ゆえにこれは「たまご」というアルバムで……といった正攻法で語り尽くせるほど、この作品の猥雑さはストレート・アヘッドに仕上がってはいない。例えそう仕上がっていたとしても、そもそも、残党と市井の語り口が同じであっていいはずがない。残党には残党の、放言には放言の美学があり、各々のマナーに則った口調で語るのが筋だろう。

 『卵』を「らん」と読む。この誤読を始点にして本作を捉え直すと、時たま顔を出す肉体的なモチーフに何度も突き当たることとなる。しかもただの肉体ではなく、性愛的なイメージによって脚色された肉体だ。その膜や殻自体が世界を縁取る「たまご」が、ある意味性別とは無関係のニュートラルな物体であるのに対し、「らん」は雌の存在を内側から立ち昇らせる。そうして立ち昇った雌の肉体が、『卵』ではまるでアルバム全体に通底する主題であるかのごとく、激しく主張してくるのだ。前作『時間』までと本作とのリリックの差異は、明確にここにある。

 これまでにもbetcover!!の作品内には、わずかながらも性の匂いを伺わせる一節、例えば「君のこと忘れたい/こっそり色つけた/君の絵が昨日の雨に濡れて/艶めくシーツの中でうずくまる(“こどもたち”)」といった描写などはあった。しかしそこには肉体の物質的な触れ合いというよりも、イノセントな心理状況に従属した肉体が便宜上あるといった具合で、むしろ「君/あなた」に相対する「僕」のあべこべな視界をいかに描写するのかに詩作の焦点があったように思える。前作『時間』において「君は天使(“回転・天使”)」で、地上で毎日を過ごすにしても「君は何かしら受け止めて/きっとくたびれていたんだ(“二限の窓”)」。ぶっきらぼうに歌われる物語の中で、どこか肉体は遠く、景色の中に佇む肖像のように「君」は配置されていた。



 軽く撫でるだけで白く毛羽だってしまうスウェード生地のような心理の、その景色の移ろいの一切をトラックに流し込む。戯画的に、そして周到に行われる、肉体の存在を保留にしたままのストーリーテリングにこそ柳瀬の詩作の本懐はあったように思えた。これまでは。

 本作『卵』においては、ついにそれまで保留にされていた肉体が蘇り、率先して物質的な存在を主張し始めたのだ。それは例えば詩にならない、柳瀬の肉体のコントロールの仕方にも如実に現れている。“超人”の、ギターソロに移行するパートでの柳瀬の掛け声。文字に起こすなら「うーわっ!」とか「あっ!」とかになるのだろうか。ストーリーテリングの外側にある、喉を震わすこの鳴き声が、マイクの前に立つ男性の存在を雄弁に物語っている。続く“壁”では「看護婦になりたかった/看護婦みたいな格好して」と歌った後に「…つって」と自嘲気味に呟いてドラムがインする場面から幕を開ける。これはブレヒトによって提唱された、演劇理論における異化効果のようなものであり、この「…つって」によって、徹底したストーリーテリングによって展開されていた楽曲の中から生臭い肉体を復活させることに成功している。序盤に配置されたこのふたつの楽曲の、写真に映らないどころかGeniusにも歌ネットにも現れない生身の身体でもって、こう言ってしまおう。『卵』は肉体の音楽である、と。

 上の二つの例によって表現されているのは、話し手である柳瀬二郎の身体そのものだ。では他の身体、具体的に「あなた/君」の身体はどうなのか。『卵』を「らん」と誤読し、雌の身体に纏わるイメージを強引に付与したのは、ひとえに本作における他者の身体を詳細に観察するためである。

 そのイメージを取り出していってみよう。先述したふたつに続くトラックとして、そのもの“H”というタイトルの楽曲がある。これは捻りもなく——特に捻らなければならない意味などないが——、そのままエッチのことだ。「いまは苦しくても/天高い塔に登り/君のHな姿想像して/豆粒程度の人生をまた考えようぜ」と歌われている。「もてはやされた陽の光/露わになった硬い肌/若い広場に聳え立つ文明の塔で/君に触れたい」とコーラスで歌われる“イカと蛸のサンバ”は、サンバを冠するだけあってアルバムでも屈指のダンスチューンとなっており、そのファンキーなベースラインも相まって狂騒的な「君の肌」への欲望を伺わせる。

 続く“愛人”では一転、過去作までと比べても驚異的なほどストレートに「君」と「愛」に向き合っている。アルバムの折り返し地点に当たるこの楽曲から、モチーフも前作のようなイノセントなものへと回帰……していかない。「恥じらう事を知らないお前に聞きたい/裸の俺を受けとめてくれるか」と問う“ばらばら”。1番のコーラス部分で醜くはためいていた「あなた」の下着は、2番では濡れている。とっくに雨は上がっているというのに。

 そして鈍く光る抒情性が発揮される“鉄に生まれたら”。朴訥な反復法によって繰り出される言葉の中で、揺れる乳がついに姿を表す。ここまでに触れてきた、どこかエロティックなイメージを纏ってきた肉体を示す言葉たちは、実のところ明確に性別が限定されることのないものばかりだった。しかしここで現れる揺れる乳について、「ほどよく肥えた男性ならば乳が揺れるように見えることもあるだろう」という四角四面な論までフックアップできるほど、私は野暮にはなれない。ここまで辿り着いた上で、ようやく「らん」のイメージは実態を伴った女体と接続される。そして答え合わせでもするかのように、続く表題曲“卵”で「軽薄な女と縺れ合い歌う」のだ。



 『卵』における他者の身体。それらは往々にして女体の姿をしており、性愛に纏わるモチーフやパーツが強調され、ついには受肉を経たストーリーテラーとまぐわる場面すら訪れるのだ。“H”や“イカと蛸のサンバ”など、恥体や肌への欲望は、まるで馬面に吊り下げられた人参のように、本能によって仕向けられた所与なものとして扱われている。この、だらしなくも抗いがたい欲望に抗わないこと。一歩進んだ表現をするなら、その欲望を内省しないこと。肉体のこなし方に迷いがなく、不可逆的な選択を恐れないこと。例えばそれは、いささか前時代的な本作の録音方法——『卵』は銀座にある老舗の録音スタジオ、通称「音響ハウス」によってほぼ一発録りされたという——にも表れているかのようにも思える。ポスト・プロダクションの意匠を感じる前作『時間』とはここでも対比が行われ、受肉のイメージを補完してやまない。

 前時代的な肉体への信奉、その実直さ。「臨界寸前、気持ちいい/心地いいザーメン」とは前作『時間』のオープニング・トラックの歌詞だが、本作ではその匂いを湛えたまま、射出された液体よりも輪郭の定まった肉体がむさ苦しく主張している。幽体ではなく、ぽつねんと佇む身体。受肉を恐れぬその雄志は、一抹の危うさや正しくなさを孕みながらも、スピーカーをつたって私の心のどこかと共振し、やはり身体を踊らせる。

 上品の要件を「欲望に対する動作がスローモ」と嘯いたのは立川談志だ。放言の大家であり、自ら残党へと身を賭した大先輩の言葉でもって、この素晴らしく下品で猥雑な傑作の誕生を寿ごう。



※Waseda Music Recordsのサイトで公開した同タイトルの記事より全文転載

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?