ある鉄道会社社員の1日

「なんだよ、5分も遅れやがって。こっちは大事な商談が待っているんだよ。こんなところでダラダラしている暇なんてないんだよ。」
 到着時間が遅れたことで不満を募らせているお客さんがいる。そのお客さんにとってはこの5分が貴重だったのだろう。
「申し訳ございませんでした。」
 深々と頭を下げ、お客さんが去っていくのを見送る。
「ったくよ。」
 もう1度頭を下げる。

 電車が遅れる度に心が痛む。その度に生活や仕事に影響を与えてしまう人がいる。自分だけの責任ではないが、わずかながらでもその一端は自分にもある。
 自分だってそうだ。自分がプライベートで移動した時に、遅延が原因で予定が合わなくなってしまったり、誰かに迷惑をかけてしまうことがある。その時自分も何かに当たりたくなる気持ちも少しは理解出来る。この職に就いている自分ですらそうなのだから、自分の感情を当り散らすのは賛成出来ないけど。他の人がそう思ってしまうのも無理は無い。
 
 もうこの職に就いて10年が経つ。入社当初よりは動揺することもなくなった。心が痛む度合いも幾分は減ったようにも思う。
 でも慣れたからこそ、この気持ちを忘れてはいけないとも思う。それは初心を忘れてしまうということ。いくら口で謝罪していても、心で謝罪していなければなんにもならない。それではこの仕事に就く意味が無い。
 先輩はよくいちいちそんなことで気が病んでいたら持たないぞともアドバイスしてくれた。その先輩が言っていることもよく分かる。実際そうなのだとも思う。自分が後輩にアドバイスするとしたら、忘れるなとも言うがまず自分の心を守れとも言うはずだから。それは今までの10年で感じたこと。
 でも一方でやはり人間だから心無い言葉を受けると傷つく。こちらに非がある、仮に相手の言っていることが真っ当だとしても、やはりどこか苦しくなる。

「駅員さん、気にしなくて良いですよ。あなたの責任じゃないし、誰の責任でもない、あなた達のおかげでいつもわしらは助かっています。いつもありがとうございます。」
 隣から言葉がかかる。
「ありがとうございます。」
 勤務中といえども泣きそうになる。自分達がやっていることを肯定してくれている。ありがとうございますと心から述べたいのはこちら。
 この仕事をやっていて良かった。その人は言葉だけを述べると去って行った。その後姿にもう1度頭を下げる。
 そうだ、僕がやっているこの仕事にも意味があるんだ。誰かの役に立っているんだ。それを受け取ってくれる人もいる。

 夜8時、帰路につく。
 家まであと5分くらいのところ。あともう少し、今日もいろんなことがあった。遅延によって誰かに、いや多くの人に迷惑をかけてしまった。でもその一方で励ましの言葉もあった。どれだけこの言葉に救われたことか。
「ねえパパ、電車乗ったね。」
「そうだな、風希は電車好きだもんな。」
「うん、大人になったら電車のお仕事をするんだ。」
「へー、なんでそう思うんだ?」
「だってカッコいいし、今日も帰りにありがとうございますって言ったら、こちらこそありがとうね、またいつでも乗りにおいでって言ってくれたんだよ。」
「そうだったな。じゃあ風希もいつか大人になって電車のお仕事をするようになったら、同じようにしてあげような。」
「うん。」

 親子の会話が何気なく入ってきた。やっぱり自分の仕事に誇りを持とう。自分が自分の仕事に誇りを持たないと、誰の人生を生きているというのか。この子は自分達の言葉や姿を見て、憧れを抱いてくれた。自分ではないとしても同業の誰かがこれだけのこの子に影響を与えているんだ。もしかしたら知らないうちに、僕も別の誰かに影響を与えているかもしれない。
 これからはもっと自分の仕事を誇りにして生きる。

 もちろん明日からも変わらず遅延はあるし、今日のように心無い言葉を受ける事も苦情を受けることもあるだろう、何も出来ない不甲斐ない自分に仕事をしていて情けなくなることもあるかもしれない。
 それでも僕はやっぱりこの仕事が好きだ。僕も子供の頃に今の仕事に憧れを抱いて、この職に就いたんだ。それをいつしか忘れかけていた。でも今でも制服を着た時、気持ちが自然とピリッとする。今日も仕事をするんだ。電車での移動を必要としている人がいる。僕の仕事は世界や世の中全体からすれば、ほんのわずかなことかもしれない、でも僕はこの小さな歯車として自分の役割を全うする。
 僕の仕事、それは誰かを運ぶこと。それはもしかしたら幸せを運ぶことかもしれない。電車に乗っている人を誰かがその行き先で待っているかもしれない、旅行で目的地に到着することを今か今かと待ち焦がれているかもしれない。車窓から景色を眺めて幸せを感じている人、今近くにいる子供のように、子供の頃の自分のように、電車に乗ること自体を夢や幸せとしているかもしれない。
 それは小さな夢や幸せ。これからも小さな夢と幸せを運ぶ人間でありたい。

 今日も励ましの言葉をかけてくれたこの子供に救われた。今は制服を着ていないから心の中でありがとうと告げる。家まで胸を張って帰ろう。

 その一方で僕はこう思う。たとえ僕自身が不都合や不利を被ったとしても、まずは相手のことを考えるように努力する。相手には相手の事情があったかもしれない、そうせざるを得ない背景があったかもしれない。それを無視して相手を批判したり、感情的な言葉を相手に一方的にぶつけても、何の解決にもならない。それは新たな火種を生むだけ。
 僕はそういう世界が好きじゃない。好きじゃないのなら、自分はその世界には踏み入れない。そこに他人は関係ない。これは自分の生き方の問題。
 自分に不都合や不利な状況に陥ったとしても、それがそれ程大きいことなのか、大抵の場合はほんの小さなこと。相手の故意であれば話は変わるけど、そうでなければ許す気持ちを持って生きていくだけ。
そんなことを今日彼等から学んだ気がした。

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