
"天皇"の日本
日本の歴史、とくに政治関係の歴史をたどろうとすると、必ず"天皇"にぶち当たります。どう頑張っても逃げることはできません。近年、とくにWWⅡ後の日本における"天皇"の存在感は徐々に低下しているように見えなくもありませんが、いまの憲法の第一条が"天皇"である限り、私たち日本人にとっては目を逸らせぬ存在であり続けるのでしょう。
「東京書籍 新編 新しい社会 歴史」において、はじめて"天皇"という言葉が登場するのは聖徳太子の時代です。縄文時代、弥生時代には登場せず、古墳時代において"大王(おおきみ)"という名称で語られるのが"天皇"の始まりです。もともと"天皇"とは、日本中に点在した豪族と呼ばれる比較的強めで偉そうな人たちの中でも、特に力をもった存在、というぐらいの立ち位置に過ぎなかったと考えられています。
この"大王"が力を持つようになっていった時代の文書というのはほぼ残っておらず、"大王"がどのようにして最強になっていったのかというのはよく分かっていません。しかし、"大王"が強かった証というのはハッキリ残っています。それが当時、えらつよだった王様達のお墓、古墳です。この古墳というのが一時期大ブームになっていたようなのですが、日本どこに行っても同じ形なので、たぶんこの形を広めたすごい強いやつがいたんだろう、ということが分かるわけです。そのすごい強いやつ"大王"が、何かの拍子に"天皇"と名乗るようになっていった、というわけです。
この時代の日本に何があったのか、記録からはほとんど読み取れません。もう少し遡ると卑弥呼という人がいますが、卑弥呼の歴史と"天皇"の歴史は今のところ全く別物です。
この分からなさ具合、なんだかワンピースの「空白の100年」みたいだな、と授業ではよく話していました。あれから8年近く経ちますが未だに明らかになっていないんですね、「空白の100年」。

一方、"天皇"のはじまりについて語っているものもあります。「古事記」「日本書紀」という、奈良時代に書かれた書物ですね。
よく言われる話として、"天皇"は、初代天皇である神武天皇から現在の今上天皇に至るまで万世一系、つまりずーーっと血が続いている、というものがあります。私たちが自分の祖先を極限まで追いかけるというのはまず不可能ですが、"天皇"はなんとそれができてしまうというわけです。
「古事記」「日本書紀」では、この神武天皇のことについても語られています。ところが、そもそもこの神武天皇という人物が実在したのかどうか、実はよく分かりません。wikipediaを見ると「伝説上の人物」とあっさり書かれていますし、実在しなかった説の方が濃厚のようです。
神武天皇のご先祖は高天原(たかまがはら)という土地に住んでいたと言われますが、この高天原というのは言ってみれば天上界。神話の世界です。今の時代、「天皇陛下の遠いおじいちゃんは、天国からやって来たのよ」という話がどこまでいけるかというのはちょっと分からないです。ちなみに天皇の遠い親戚たちは、例えば島を産んでいたり(比喩的な表現ではなく出産そのもの)、鼻から自分の子どもを産んだりしているので、なかなかファンキーです。私はたぶんそんなことはできないと思います。
こうした日本神話というのは、ギリシャ神話のような、いわゆるお伽話として聞けばそれなりの楽しみ方というのはあるのかもしれませんが、日本神話の場合は「ゼウスの子孫が今も国のトップなのよ」という感じで、突然現実の政治が紐づいてしまうのがなんともユニークで、やりづらいところです。
私は日本神話は割と好きなのですが、少なくとも「東京書籍」では、この神話がメインストリームで取り扱われることはありません。扱い方の難しさというのはまあよく分かりますが、実在性についてのエクスキューズを正しく付記したうえで、コラム的にもうちっと取り扱ってもいいんじゃないかなあという気もします。神学じゃないですが、そういうのがあってもいい気もするんですけどね。
昔、神話の舞台とされている宮崎・高千穂に遊びに行ったことがありました。結構な歴史が感じられるいいところです。遠い昔、日本においては「神」というのがいても人との区別というのはほとんど無かったそうで、一緒に酒盛りしたりキャッキャウフフして楽しんでいたんだそうです。「神」がアンタッチャブルな存在である西欧とは異なった世界観がそこにはあったみたいですね。
天岩戸の神話なんかは結構ほっこりする話だなと思います。人は死んでるんですけど。

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