門倉さんと、うつ病。

中日の元コーチ門倉さんが発見され、現在は横浜の自宅にいらっしゃるとのことで一安心しました。あとはご家族などにお任せをして、うつ病の治療に専念していただきたいです。決して無理はしないでください。

うつ病ですが、私自身もパニック障害からうつ病になり、30歳で寛解しました。40歳後半の今になってもあの頃の恐怖は忘れることができないです。今では芸能人や有名人が公表してくれるので一定数の理解は示してくれますが、私が罹患した20年以上前は、さぼり病だの色々と言われ、更に悪化しました。

私自身は親父の影響で野球を始め、中学3年生までは順風満帆でした。しかし、中学3年生の夏に親父は癌で他界。地元の某県の私学4強に進学して寮生活を送る予定でしたが、親父の他界で家庭内の方針は変わり、自宅から通学できる普通科に進路変更しました。あのまま進学していたら、世界のあの選手と一緒にプレイできていました(笑)

進路先では高校1年の春から遊撃手のレギュラーを任されましたが、残念ながら大学や社会人から推薦はなく、自力で大学に合格しないと野球は継続できませんでした。

3年夏に負けてから猛勉強の末、名古屋大学と某私立大学に合格をしました。そして、母親の反対を押し切り、某私立大学に進学しました。反対を押し切ったからには学費など全て奨学金です。私にも意地があります。

大学でも遊撃手を任され、神宮(全国大会)には縁は無かったですが、自分なりに一生懸命頑張ってきたので、社会人野球からお声掛けいただきました。

地元の会社に入社して野球を継続するわけですが、大学卒業する前の1月から練習に参加させていただき、その間は全て基本練習と人生初の二塁手を練習していました。その練習がお前の将来に役立つと言われた記憶はあります。

そして、社会人1年目の秋から遊撃手で1番打者になり、2年目の夏手前までは順調でした。そこで、某球団のスカウトから逆指名の打診があり、快諾しました。他球団はドラフト5位前後の評価でしたが、何故かその球団だけは逆指名の評価でした。

しかし、そこからが落とし穴でした。ドラフトの残り数ヶ月で念願のプロ野球選手になれる、あのとき親父と約束をしたプロ野球選手になれるまであと少し。そのプレッシャーがあったのでしょうか。夏になると、試合前などに目まいや吐き気を起こし、試合出場すらできない状況になりました。

そして、1ヶ月半が経過した頃には体重が10キロくらい減り、60キロ弱になっていました。これではプロに行っても迷惑をお掛けするだけだと思い、ドラフト2ヶ月前に逆指名のお断りをしました。奇しくも親父が他界して10年後の出来事でした。天国の親父から、お前にはプロは無理と言われた気がしてならないです。私はプロで活躍するのではなく、プロ入りが最終目標だったのでしょう。

その後、コーチ業と選手、社業を兼用していましたが、体力の限界を感じ、30歳手前で硬式野球を引退するとともに、会社も退職しました。

その後の人生ですが、このような経験をさせて貰ったお陰で今があり、バツイチですが再婚することができ、今では息子2人と妻の4人暮らしをさせていただき幸せです。

門倉さん、決して無理だけはされないようお願いします。うつ病などメンタル疾患は、周りの理解があれば良くなっていく病気です。一日も早くと考えるのではなく、ゆっくりで良いですから。

あのときの門倉投手は凄かったな~。大学時代に対戦した者より。

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