大切な日々を切り取っていく
久しぶりに家族の住む街に帰った。
家族はみんな相変わらずの日々を過ごしていた。
実家に帰るとしばらく写真は撮らないだろうなと考えていたのだが、それは間違いだったのかもしれない。
確かに撮る枚数は減ったのだけど、確実に僕が満足と思える写真は何枚も撮れたのだ。
量は減ったけど質は上がったというのだろうか。
普段はとりあえず外に出て何かを探すように歩き回り写真を撮っている。
そこまで心が踊らなくてもとりあえずシャッターを切ることも多い。
見返してみるとやっぱりあまり良くないと感じるものが多いのも仕方ないと思う。
旅をしていてもとりあえずシャッターを切っておくということがよくあるのだけど、やっぱり心の底では心の踊るものを撮りたいといつも思っている。
なかなかそんな光景には出会えないのが現実なのだけど。
だから実家に帰った時、別に何も期待していなかったのだけど、いざ帰ってみると僕の心は踊った。
祖母の新聞を読んでいる後ろ姿や母が料理をする姿、妹がだらけている姿、その何気ない姿が今の僕には貴重だと感じた。
父の写真はほとんど撮ったことはなかった。
だから、父にフォーカスして父のことを撮るのは新鮮だと感じた。
なぜこんなにも家族にカメラを向けたくなったのかというとこれにも理由がある。
旅をしていた期間が長かったのでそれなりに人との関係が永続的に続くものだとは思わなくなっている。
いつでも終わりが頭の片隅にはあって、それがなくなってしまわないように僕は写真を撮っていたのだと思う。
家族だって永遠にいるわけではない。
確実に両親や祖母は僕よりも先にどこかに行ってしまうだろう。
そう考えると今を写真に撮っておきたかった。
幸い僕は写真家だ。
他の人がこの漠然とした不安を忘れていくのとは違い、僕はそこから写真というものを作り出すことができる。
目に見える形にすることができる。
撮りながらいろんなことを想像した。
悲しいことや嬉しいこと、この写真を撮る意味について考えた。
僕が写真を撮りたい理由。
それは写真家であることにもとても重要なことだ。