被災地支援

まもなく3月11日がやってきます。
あの日、
わたしは、開設した独立型居宅介護支援事業所の事務所にいました。
ひとりっきりの事務所で、遠方にいるまだ見ぬ仲間の励ましをツイッター(当時)で見ていると、続々とニュースが飛び込んできました。
これは、リアルなのか!?と疑いたくなるような映像でした。
お隣の製麺所さんが仙台出身と聞いていたこともあり、
急いで映像を一緒に見ました。
どうやってその場が過ぎたのかは覚えていません。

阪神淡路大震災の時に「ボランティア」が駆けつけていたことを思い出し
わたしもその場に駆けつけたくなりました。
しかし、
事業をはじめたばかりで
代わりになるような人もいないので
事務所を空けて駆けつけるわけにもいかず
心がそわそわするばかりでした。

今年1月1日
またもやテレビの画面で地震の発災を知り
ドキドキしました。
そして、今度こそ駆けつけよう!と決めました。

ところが
状況は厳しく、やすやすと現地に駆けつけるほどの受け入れは見当たりませんでした。
やきもきしながら日々を過ごし、
ついに縁を辿り、
「能登福祉救援ネットワーク」にお手伝いに行かせていただきました。

1.5次避難所・二次避難所の方を訪ね
インタビューすることに従事しました。

土地勘がないので
言われるがままに動いていましたが
奥能登からは金沢や富山、福井は3~5時間かかる
普段の生活からはかなり離れたところでの避難所でした。
すでに2ヶ月を避難生活をして過ごされていました。
日常生活…という言葉がなんなのか、と考えさせられました。
インタビューの中で
気になることを尋ねると
「年末に植えたにんにくやたまねぎがどうなってるか・・・畑が気になる」
とかえってきました。
「日常」は、やっぱり元居た生活の場にあると思いました。
今いる「ここ」ではその日常が続かないということも思いました。

奥能登は、まだ上下水道が大半整っておらず、目途もついていない。
中には電気や電波が復旧していないところもあり
元の生活に戻るにはライフラインの復旧が必須であることを今さらながらに思い知りました。

皆さんの声から聞こえてくるのは「ここに来させてもらってありがたい。よくしてもらってる」
奥能登に足を踏み入れてその言葉の重さがしみました。

当たり前にトイレに行き、水で流し、手を洗って出てくる
これが当たり前でないことを思いながら金沢で過ごしました。


自分がしてきた行為がよかったのかどうかはわからない。
非力さも重々感じる。
自分の未熟さも知らされる。

しかし、
何もしないよりは、何かをしていたい。
わたしがあなただったかもしれないから。

なんとなく気になっていた「奥能登」
戻ってきてからは、いちいち気になるようになった。
これからも気になり続けようと思う。



20240307

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