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【香の日本史❷】 -奈良時代1/2- お香界のNo.2!鑑真の功績と仏教の行方

小さい頃に「鑑真」と「ガンジー」の区別がつかなかったのは筆者だけだろうか。

この二人の偉人が全く違うのは、今なら分かるが、当時は何とも頓珍漢な理解をしていたものである。

学校教育で「鑑真」を習う際に「唐から海を渡ってきて、失明した人」程度に、記憶している人が多いのではないだろうか。
「失明した」がセンセーショナル過ぎて、肝心な点を疎かにしがちだが、そこまでして、日本に来たのは何故か。


■ 奈良時代初期の仏教政策

鑑真の来日目的を話す前に、彼が生きた時代の日本について触れておきたい。

前回までの記事で、飛鳥時代から奈良時代にかけて、日本が中央集権国家を目指し、唐から模倣した律令制度と、これを支えるイデオロギーとして仏教を普及させた過程を紹介した。

詳細は拙筆をご一読いただきたいが、まとめると
 ・譲位/即位が本来的でない天皇は、自身の正当性の理論武装が必要だった
 ・古来より天皇の正当性は神祇の文脈から説明されてきた
 ・社会/政治不安により、神祇の文脈で正当性を証するのが難しくなった
 ・統治者の存在を肯定する仏経典を普及させ、その興隆主体=天皇を標榜
このような背景から、特に聖武天皇の御代において、仏教興隆の頂点を迎える。

全国での仏像造立、天皇直筆経典を収容する国分寺・国分尼寺の建立と、その総代として位置付けた東大寺への、大仏造立によって完成させた仏国土の体現[※1]。

これらが聖武天皇を標榜することで、国家全体が仏教信仰を通じて天皇と繋がり、イデオロギー的な中央集権の実現を想定していたのである[※2・3]。

■ 光明皇后による筋金入りの仏教信仰

さて、聖武天皇による仏教信仰を、政策的にも精神的にも、最も側で支えたのは、皇后・光明子であった[※4]。

藤原不比等という、持統天皇から後の世を託され、天武系天皇を繋いできた中心人物が、橘犬養三千代(以下、三千代)との間に設けた娘である[※5]。

「近つ飛鳥」[※6]と呼ばれ、推古天皇陵や聖徳太子墓を有する仏教先進地帯の南河内で育った母・三千代に、多分な影響をうけた光明子は、筋金入りの仏教信者であった[※7]。

■ 寺院に納められる香料

その光明子が、仏教への篤信から、寺院に奉納した香料の記録を中心に、当時の香料流通事情を見ていこう。

・『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』より

 734年 光明皇后(光明子)が白檀香、沈水香などの香木を奉納[※8]
 736年 光明皇后(光明子)が薫陸香などの香料を奉納[※8]

東京国立博物館研究情報アーカイブズ『沈水香』https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0019611[※9]

733年の母・三千代の死去を契機に、光明子はますます仏教へ信心[※10]。
特に聖徳太子への信仰の深まりが、太子が建立した法隆寺へ奉納させたようだ[※11]。

・『大安寺三綱言上伽藍縁起并ニ流記資財帳』より

 麝香、白檀、沉香(沈香)、浅香(全浅香)、薫陸香、丁字香、百和香(種々の香料を混ぜた練香)、青木香、零陵香、蘇香、甘松香、雀香[※12]

国書データベース『大安寺三綱言上伽藍縁起并ニ流記資財帳』P19左から2行目よりhttps://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100339979/19?ln=ja[※13]
国書データベース『大安寺三綱言上伽藍縁起并ニ流記資財帳』P20 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100339979/19?ln=ja[※13]

747年に提出された『大安寺三綱言上伽藍縁起并ニ流記資財帳』は、現代まで完全な形で伝わり、奈良時代の大寺院を知る第一級の資料だ[※14]。

しかし、上述に列記した香料の入手時期を示した文献・書籍には出会えなかった。遅くとも提出年代以前に大安寺にもたらされたのは確かだろう。

・正倉院宝物より

752年 『買新羅物解』に多数の香料を求めた記録[※15]
 753年 仁王会盧舎那仏に「紅塵」という雅名の全浅香が用いられる[※16・17・18]
 756年 光明子が香薬含む(蘭奢待の可能性有)聖武天皇愛遺品を奉納[※19]

国立国会図書館デジタルコレクション『正倉院御物棚別目録』P33 https://dl.ndl.go.jp/pid/1867220/1/20[※17]
宮内庁HP『全浅香』雅名:紅塵とも[※16]
https://shosoin.kunaicho.go.jp/treasures?id=0000010092&index=1
宮内庁HP『種々薬帳』P1、1行目に麝香の文字がhttps://shosoin.kunaicho.go.jp/treasures/?id=0000010569&index=45[※20]
宮内庁HP『種々薬帳』P3 巻末に天平勝宝8年(756年)
https://shosoin.kunaicho.go.jp/treasures/?id=0000010569&index=45[※20]

なお、「蘭奢待」と呼ばれる、最も知られていながら出所が判然としない香木も、正倉院の保存物だ[※21]。

筆者が調べた限り、
 ・765年の奉納物は『国家珍宝帳』に記載され、北倉に保存[※22]
 ・一方、「蘭奢待」は中倉に保存[※23]
 ・『国家珍宝帳』記載の香木は全浅香で北倉に保存[※17]
 ・『正倉院御物棚別目録』に全浅香と「蘭奢待」其々別頁に記載[※17・24]
等、確実な一次資料を見つけられなかったため、本記事も先例に倣い、上述と同時期に収められた可能性を示唆するだけに留める。

国立国会図書館デジタルコレクション『正倉院御物棚別目録』P115 https://dl.ndl.go.jp/pid/1867220/1/20[※24]
宮内庁HP『黄熟香』雅名:蘭奢待とも
https://shosoin.kunaicho.go.jp/treasures/?id=0000012162[※23]

・阿弥陀院宝物目録より

 ・767年 薫香四袋[※25]
光明子の一周忌である761年に、かつて故人が過ごした法華寺の外嶋院を改造して阿弥陀院(阿弥陀浄土院とも)が造立された[※26]。

767年8月の日付を持つ「阿弥陀院宝物目録」に記された薫香の記録は、奈良時代後半には既に薫物が納められたことを示唆している[※25]。

国立公文書館デジタルアーカイブ『阿弥陀院宝物目録』群書類従よりhttps://www.digital.archives.go.jp/img.pdf/741990[※27]
国立公文書館デジタルアーカイブ『阿弥陀院宝物目録』群書類従より 右頁2行目https://www.digital.archives.go.jp/img.pdf/741990[※27]

■ 律令の恩恵で記録豊富な奈良時代を香料から概観

奈良時代は一次資料が豊富なので[※28]、著作権が許す限り写真を掲載した。視覚的なインプットに繋がると、冥利に尽きる。

このように、寺院に残された香料収容の記録を現代でも遡れることで、この時代に仏教において「香り」が、奉納されるに値する崇高なものであったことが分かる。

鑑真を紹介する前に、香料流通の話で紙幅が尽きてしまったので、次記事に譲ろうと思う。

■ まとめ


○国家政策として奈良時代に仏教推進,後半にかけてますます興隆
○仏教興隆に比例して宗教消耗品である香料の使用量が増大
○寺院を中心に香料の収集/貴人からの奉納が盛んに

注釈

※1 本郷 真紹『律令国家仏教の研究』p16,法蔵館,2005年
※2 末木 文美士『日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)』P48,新潮社,1996年
※3 本郷 真紹『律令国家仏教の研究』p271,法蔵館,2005年
※4 本郷 真紹『律令国家仏教の研究』p62・P70,法蔵館,2005年
※5 渡辺 晃宏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫 1904 日本の歴史 4)』P136,講談社,2009年
※6 古事記「下巻」履中天皇
※7 渡辺 晃宏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫 1904 日本の歴史 4)』P199,講談社,2009年
※8 松原 睦『香の文化史: 日本における沈香需要の歴史 (生活文化史選書)』P23,雄山閣,2020年
※9 東京国立博物館研究情報アーカイブズ『沈水香』https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0019611
※10 渡辺 晃宏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫 1904 日本の歴史 4)』P198,講談社,2009年 
※11 渡辺 晃宏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫 1904 日本の歴史 4)』P204,講談社,2009年 
※12 菅谷 文則『大安寺伽藍縁起并流記資財帳を読む (大安寺歴史講座 1)』P78,東方出版,2020年
※13 国書データベース『大安寺三綱言上伽藍縁起并ニ流記資財帳』https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100339979/19?ln=ja
※14 菅谷 文則『大安寺伽藍縁起并流記資財帳を読む (大安寺歴史講座 1)』P12,東方出版,2020年
※15 東野 治之『遣唐使と正倉院』P117,岩波書店,1992年
※16 宮内庁HP『全浅香』
https://shosoin.kunaicho.go.jp/treasures?id=0000010092&index=1
※17 続日本紀「宝字称徳孝謙皇帝」天平勝宝五年(七五三)三月庚午【壬寅朔廿九】》
※18 国立国会図書館デジタルコレクション『正倉院御物棚別目録』P33 https://dl.ndl.go.jp/pid/1867220/1/20
※19 渡辺 晃宏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫 1904 日本の歴史 4)』P307,講談社,2009年
※20 宮内庁HP『種々薬帳』https://shosoin.kunaicho.go.jp/treasures/?id=0000010569&index=45
※21 松原 睦『香の文化史: 日本における沈香需要の歴史 (生活文化史選書)』P26,雄山閣,2020年
※22 宮内庁HP「正倉院について」正倉案内https://shosoin.kunaicho.go.jp/about/
※23 宮内庁HP『黄熟香』雅名:蘭奢待とも
https://shosoin.kunaicho.go.jp/treasures/?id=0000012162
※24 国立国会図書館デジタルコレクション『正倉院御物棚別目録』P115 https://dl.ndl.go.jp/pid/1867220/1/20
※25 松原 睦『香の文化史: 日本における沈香需要の歴史 (生活文化史選書)』P23,雄山閣,2020年
※26 渡辺 晃宏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫 1904 日本の歴史 4)』P199,講談社,2009年
※27 国立公文書館デジタルアーカイブ『阿弥陀院宝物目録』群書類従よりhttps://www.digital.archives.go.jp/img.pdf/741990
※28 榎村 寛之『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年 (中公新書 2783)』Pⅲ,中央公論新社,2023年

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