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【香の日本史❷】 -奈良時代2/2- お香界のNo.2!鑑真の功績と仏教の行方

■ 困難を極めた来日までの10年余り

来日後の鑑真の業績を現代に伝える『唐大和上東征伝』という文献がある(以降、『東征伝』)[※1]。

この『東征伝』で最も有名な場面とされているのが、

栄叡たちは、それに満足せずさらに戒師を探し求め、七四二年(天宝元)に揚州大明寺の鑑真を訪れ、渡日を依頼する。
「仏法東流して、本国に至れり。その教へ有りといへども、人の伝授する無し。幸み願はくは、和上東遊して化を興されんことを」(『続日本紀』天平宝字七年(七六三)五月鑑真卒伝)
と。これに対して鑑真の弟子で日本に渡ろうと答える者がいない。
そのとき鑑真が述べたのが、
「これ法の為の事なり。何ぞ身命を惜しまんや。諸人行かざれば、我即ち去くのみ」
これを聞いて弟子たちも同行を願い出たのである。

大津 透『律令国家と隋唐文明 (岩波新書 新赤版 1827)』P155,岩波書店,2020年[※2]

栄叡の依頼から10年余りの時を経て、鑑真は来日に成功する[※3]。その間、5度の渡航失敗、そして失明したことは[※4]、この高僧の名と共に、日本人の記憶に深く刻まれていることと思う。

渡日に成功した6度目の渡航は、東大寺大仏開眼供養と同年の752年に派遣された遣唐使船の帰路だった[※5]。実に20年ぶりの遣唐使の船団の第二船が、鑑真を乗せて753年に帰港した[※5]。


■ 日本における正式な僧侶の誕生

鑑真は、翌年754年に平城京へ入京し、東大寺に築いた臨時の戒壇で、まず聖武太上天皇・光明皇后・孝謙天皇に菩薩戒を授けた[※6]。

その後、次々に僧侶に菩薩戒ないしは具足戒を授けて、日本に正式が僧侶が誕生したのだった[※7]。

鑑真が日本に招聘された理由が、ここにある。

当時の日本には、正式な授戒を経ていない僧尼が多数いた[※8]。
それそのはず、聖武天皇の御代以前から、皇族の病等に際して百人〜千人レベルの臨時大量得度によって僧尼を輩出し、仏教界の秩序が危ぶまれた程だったのだ[※9]。

正式な授戒を執り行なうには、「三師七証」と呼ばれる、資格を有した10名の僧侶が必要だった[※7]。

鑑真は自身の他に、日本側の求めに応じて、この資格を満たす9名の僧侶を連れてきていたのである[※7]。

以上が、鑑真を語る上で最も重要な功績なのだが、「香の日本史」という文脈から、次章にて、もう1つの功績を紹介したい。

余談

鑑真を日本に導いた遣唐使船団のうち、第一船に乗っていた偉人にも注目されたい。唐・玄宗皇帝に寵愛され、数度帰国を試みるも、生涯帰国が叶わなかった、阿部仲麻呂である[※10]。

『百人一首』『古今和歌集』に掲載された有名な和歌は、帰国前夜の送別会で仲麻呂が読んだものである[※11]。

■ 「戒律」以外の鑑真の足跡

『東征伝』は、鑑真が香薬を日本に将来しようとしたことも伝えている[※12]。

残念ながら、渡日に成功した6度目の将来品ではないのだが、2度目の航海時に準備した香料薬品の記載が残っているのだ[※12]。

国立国会図書館デジタルアーカイブ『唐大和上東征伝』右から2行目・2文字目「麝香」以降 https://dl.ndl.go.jp/pid/3438689/1/20[※13]

筆者が愛読する書籍には、この将来品リストが、東大寺・大安寺の資材帳と一致することを証左としているが、
 ・鑑真が来日したのは754年
 ・東大寺の資材帳(=正倉院)に香料関係の記載があるのは、
  752年 「買新羅物解」→鑑真の来日以前
  765年 光明皇后が聖武天皇の愛遺品を奉納→麝香のみ
で、年代の不一致、及び一致の確認が筆者には十分に行えそうにない。

■ 焼香から「薫香」の時代へ

そこで、後の香文化の系譜となる「薫香」について特筆しようと思う。

将来品リストの末尾に、賦形剤や匂いの保留剤、粒にまとめる粘着物が記載されている[※14]。

筆者が学ぶ香道教室では、年末に「練香」を作るのだが、これを加熱して香りを燻らせることを「薫香」と言う。

下図のように、香料を混ぜた後、蜂蜜を入れて、団子状にする。

筆者の練香調合の様子

しっかり乾燥させると、このようになる。

乾燥させた後に蛤貝に入れて

今一度、『東征伝』将来品頁を見ると、最後から3行目、真ん中より少し下に「蜂蜜」と記載されているのが分かる。
まさに粒にまとめる粘着物として、蜂蜜が将来されていた証拠なのだ。

■ 香道の歴史で聖徳太子の次に大事にされる人として

このように、香薬の類を伝えたことで、日本の香道の歴史の上では、聖徳太子の次に大事にされるのが、鑑真なのだ[※15]。

最後に、本記事を執筆中に、奇しくも鑑真伝を紹介するYou Tube番組が放送されたので、紹介する。

紹介したい動機にかられた最たる理由は、本番組のパーソナリティも「鑑真とガンジーの区別がつかなかった」ことだが、放送内容は間違いなく素晴らしいので、是非視聴されたい。

■ まとめ

○ 742年に興福寺僧の栄叡と普照が、鑑真に伝戒師として渡日を依頼
○ 754年に臨時戒壇で聖武太上天皇他、僧侶多数を正式に授戒
○ 鑑真が練香含む香薬を将来

注釈

※1 文化遺産データベース『唐大和上東征伝(高山寺本)』https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/158481
※2 大津 透『律令国家と隋唐文明 (岩波新書 新赤版 1827)』P155,岩波書店,2020年
※3 大津 透『律令国家と隋唐文明 (岩波新書 新赤版 1827)』P156,岩波書店,2020年
※4 大津 透『律令国家と隋唐文明 (岩波新書 新赤版 1827)』P156,岩波書店,2020年
※5 渡辺 晃宏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫 1904 日本の歴史 4)』P280,講談社,2009年
※6 渡辺 晃宏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫 1904 日本の歴史 4)』P281,講談社,2009年
※7 大津 透『律令国家と隋唐文明 (岩波新書 新赤版 1827)』P159,岩波書店,2020年
※8 大津 透『律令国家と隋唐文明 (岩波新書 新赤版 1827)』P155,岩波書店,2020年
※9 本郷 真紹『律令国家仏教の研究』p39,法蔵館,2005年
※10 渡辺 晃宏『平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫 1904 日本の歴史 4)』P280,講談社,2009年
※11 小倉山荘(ブランドサイト)ちょっと差がつく『百人一首講座』【2001年1月10日配信】[No.012]https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/397/ 
※12 山田憲太郎『香料』p2,法政大学出版局,1978年
※13 国立国会図書館デジタルアーカイブ『唐大和上東征伝』 https://dl.ndl.go.jp/pid/3438689/1/20 
※14 神保 博行『香道の歴史事典』P12,柏書房,2003年
※15 山田憲太郎『香料』p23,法政大学出版局,1978年

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