見出し画像

【香の日本史❶】 -飛鳥時代- 始まりはいつも仏教から

淡路島が、お線香の生産量日本一[※1]、とご存知だろうか。

筆者は、大塚国際美術館が大好きで、年に2・3回は訪れる。
その道中、淡路島を通過し、鳴門大橋を渡る。

鳴門大橋の眼下には、かの有名な渦潮が。
こんな荒波のなか、どうやって香木は淡路島に漂着したのか、と高速バスの車窓から、思いを馳せる。

鳴門の渦潮

そう、淡路島は日本で一番最初にお香がもたらされた、伝説を持つ島なのだ。

■ 日本とお香の出会い

文献上、初めて「お香」が出現するのは『日本書紀』と言われている[※2]。お香の歴史を語り始める際に、よく引用されるので、筆者もそれに倣おうと思う。

実際に『日本書紀』を調べてみた。

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀 巻廿二』https://x.gd/2nlG8
左頁3行目「三年夏四月、沈水、漂着於淡路嶋…」

推古天皇の御代・595年4月に、香木が淡路島に漂着し、天皇に献上したと書かれている。

三年夏四月、沈香(じんこう)(香木の一種)が淡路島に漂着した。
その太さは三尺程もあった。
島人は沈香ということを知らず、薪と共に竈かまどで炊いた。
するとその煙が遠くまで良い香りを漂わせた。
そこでこれは不思議だとして献上した。

日本書紀・日本語訳「第二十二巻 推古天皇」https://x.gd/Bqf1u より

■ 聖徳太子とお香

ちなみに余談だが、720年に編纂された『日本書紀』だけでなく推定10世紀頃編纂の『聖徳太子傳歴』にも同様に記されている[※3]。

推古天皇の摂政だった聖徳太子を、その偉業から神格あるいは仏格化した「太子信仰」に、大きな役割を果たした書物だ[※4]。

推古天皇の御代に香木が淡路島に漂着する描写は『日本書紀』と共通している。
聖徳太子が、この香木に関する博識ぶりを解説する場面は、『聖徳太子傳歴』オリジナルだ。

この記載が香木漂着と太子を結び付け[※5]、日本最初の香木の銘に「太子」の名を戴き[※6]、聖徳太子がお香の日本史上で最も大切にされる人物である所以となっている。

聖徳太子

なお、『記紀』として『日本書紀』と対をなす『古事記』では、香木漂着のくだりは書かれていない。推古天皇の生没に関する簡単な記述を最後に、『古事記』は終わる。

妹の豊御食炊屋比売とよみけかしきやひめ命は、小治田宮おはりだのみやで天下を治めること三十七年であった。

戊子つちのえねの年の三月十五日、癸丑みづのとのうしの日に崩御した。
御陵は、大野岡おおののおかのほとりにあったのを、後に科長しながの大陵おおみささぎに移した。

古事記・現代語訳「下巻」 https://x.gd/xDNTY

■ 仏教伝来

ここで、時を少し戻して、仏教伝来に遡ろう。
仏教の伝来時期は諸説ある。[※7]

538年に伝来したとする、『元興寺伽藍縁起并流記資財帳(がんごうじがらんえんぎならびにりゅうきしざいちょう)』及び『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』を根拠とする説。

国立国会図書館デジタルコレクション『元興寺縁起』https://dl.ndl.go.jp/pid/3438927/1/9
2行目「戊午十二月〜」で始まる一文。
国立国会図書館デジタルコレクション『上宮聖徳法王帝説』https://dl.ndl.go.jp/pid/3438667/1/15
2行目「志癸島天皇御世 戊午年十月十二日〜」で始まる一文。

もう一つは、『日本書紀』に記載されている552年とする説だ。

国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀 巻十九 仏教公伝』1/2 https://x.gd/KqCy0
最終行「冬十月〜」から
国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀 巻十九 仏教公伝』2/2 https://x.gd/lyK3l
先頭から3行目あたりまで

冬十月、聖明王は西部姫氏達率怒咧斯致契(せいほうきしたつそつぬりしちけい)らを遣わして、釈迦仏(しゃかほとけ)の金銅像ー軀(かねのみかたひとはしら)、幡蓋(はたきぬがさ)を若干、経論(きょうろん)を若干巻を奉った。(以下省略)

日本書紀・日本語訳「第十九巻 欽明天皇」https://x.gd/4C9ar

このように、香木漂着以前に仏教が伝来していることから、香料使用も紹介されていたはず、とも考えられているのだ。[※8]

■ 宗教消耗品としての香使用

香木漂着とタイミングは前後するが、同年に、聖徳太子の仏教の師匠として、高句麗から慧慈(えじ)という僧侶を招聘している。[※9]
この慧慈が、仏教の他に持ち込んだ重要物として、「柄香炉」という仏具がある。

この柄香炉が使用される場面が、以降の『日本書紀』内で散見される[※10]。

  • 642年 皇極天皇、多数の僧侶に大雲経を読誦させたとき、蘇我内大臣は手に香炉を取り、香を焼いて礼拝

  • 669年 天智天皇、藤原内大臣の家を行幸して金の香炉を下賜

  • 671年 天智天皇、沈水香、栴檀香その他の財宝を法興寺に献上

  • 671年 大友皇子、手に香炉を取って、蘇我赤兄臣、中臣金連その他数人と盟約を結ぶ

  • 689年 持統天皇、陸奥の僧侶に仏像、仏具、香炉を与える

香炉の使用歴を追うことで、仏教儀礼に欠くことのできない、焼香供養を中心に、飛鳥時代から香使用されてきたことが読み取れるのだ[※11]。

この後、710年に平城京へ遷都し、仏教色は益々強まり、寺院を中心に香木が蒐集され、保存・消費される奈良時代へと突入する。

■ まとめ


○ 飛鳥時代初期(522・538年)、朝鮮半島を経由して日本に仏教伝来
○ 595年、淡路島に香木が偶然漂着し、文献に初めてお香が出現
○ 香木漂着以前から、仏教儀礼上で香使用があったと考えられる
○ 柄香炉の使用歴から鑑み、宗教的な香料使用が奈良時代まで続いていた
○ 聖徳太子はお香の日本史上で最も大切にされている人物

注釈


[※1]https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk03/dayori2303/pickup4.html
[※2]神保 博行『香道の歴史事典』p7、柏書房、2003年
[※3]山田憲太郎『香料』p2-4、法政大学出版局、1978年
[※4]山田憲太郎『香料』p2、法政大学出版局、1978年
[※5]濱濱崎加奈子『香道の美学』p38、思文閣、2017年
[※6]関関口真大『匂い・香り・禅』p185-186、日貿出版社、1972年
[※7]末木文美士『日本仏教史』p19,、新潮文庫、1996年
[※8]濱崎加奈子『香道の美学』p37、思文閣、2017年
[※9]日本書紀巻第廿二「豐御食炊屋姬天皇 推古天皇」
[※10]山田憲太郎『香料』p20、法政大学出版局、1978年
[※11]松原睦『香の文化史』p22、 雄山閣、2012年

いいなと思ったら応援しよう!