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ねこといましめ

もう4年ほど前になる。
いっしょに暮らせないかと頭をひねったが、どうにも難しかった猫がいた。
ごはんをねだりに窓から入ってくる人懐っこい野良が生んだ2匹の仔猫。

連絡した保護猫ボランティアの方から、立派な家に引き取られたと聞いた。
思い出すに何とも居心地が悪くなるのは世界で私だけだろう。
たとえば日本が誇る猫マンガ界の巨匠、現代の歌川国芳と私が勝手に称するイシデ電さんの手で描かれたそれに心情の断片がある。

いま我が家には、猫がいる。
べっ甲のレヴィと茶シロのコタという。
ちょっと背中を撫でれば喉を鳴らし、気持ちよさそうにする。
そんなときに思う断片も書かれている。

ほんの数ページで、なんと猫愛に溢るるか。
心のこもった線で描かれた猫たちを見ると涙が出そうになることがある。
きっと本当に、愛し愛されて暮らしている方なんだろう。

妻の実家にも、猫がいる。
一目ぼれで深夜バスに飛び乗って京都まで引き取りに行ったのが20年前だという保護猫が亡くなったのは、去年の秋ごろ。
それまでは顔も見せてくれたことはなかったが、一度だけ肩にのってくれたのが最後になった。
正月にあいさつへ伺うと、その子どもが顔を見せてくれた。
母猫そっくりの見事なサバトラだ。
これまた猫としては年嵩で、細い体躯はそのまま老いを感じさせる。
かなり大きな猫だが、すっかり軽い。
丁寧に目ヤニをとってやると気持ちよさそうに目を細めた。

そのとき思い出したのが引用したイシデ電さんの作品だ。

暮らすというのは、いつか別れがあること。
どれだけ気をつけても、そればかりは避けられない。

せめてオイオイと泣き明かしてやろう。
もう、そう腹は括っている。

それまでずっと、ヒマさえあれば撫でて暮らそう。
でなければ罰をかぶる。
せっかく選んで来てくれたのだから、せめてそのくらい。
イシデ電さんの作品を読むと、そう思う。

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