アザラシ営業マン激闘史
初めましての方はようこそ!
そして、いつも見てくださっている方は、いつもありがとうございます!
私はゴマフアザラシで営業マンをしているかわしんと申します。
以後、宜しくお願いします。
今回は私の自己紹介ということでブログを執筆しました。
ぜひ「かわしんって何なん?」というところに触れて頂きたいなと
思います。
どこから振り返ればよいのか分からなかったので、とりあえず記憶に残っている所から簡単に振り返っていきますね。
【幼稚園編】
元々かわしんは茨城県日立市の経営者一家の四兄弟の長男として生を受け、地元の私立の幼稚園に通ってました。
確か年長時に泊りがけのレクリエーションがあり、最後に旅館の方々にお礼のあいさつを
する役割を担っていましたが、その挨拶をカンペなし、暗記かつ一発で成功させる神童ぶりを発揮しました。
【小学校編】
地元の公立小学校に通っていました。
勉強に関してはぶっちゃけほぼやっていなくて(というか授業聞いてれば一発で理解できていたので、宿題とか長期休みの課題とかはほぼやらなかったです…w)、でもテストはできていたので、割と先生からも同級生からも嫌われていて、いわゆる「ぼっち」でしたね。笑
小1から元国体選手の父の影響で剣道を初め、そっちでたくさんの友達ができました。
【中・高校編】
ぼっちで地元に息苦しさを感じていたこと、親戚のおばちゃんからかなり熱いラブコールを受けたことから、つくば市にある私立の中学校を1カ月という短期間で合格し、中高一貫校の私立学校に通うことになりました。(ペットの亀の世話がしたいということで片道100キロ、往復4時間を6年かけて通うことになります。)
そこはまさに「人種のるつぼ」、「出る杭は伸ばす」というような校風で自由に勉強、剣道ができ、力をつけていきました。
【大学編】
そんなこんなで大学は早稲田大学商学部に入学。体育会剣道部に所属します。
ここでかわしんは勉強も剣道も上には上がいることを知り、挫折します。
なんなら剣道の方は大けがを連発し、2年間マネージャー生活を経験します。
勉強は日々コツコツと行い、キャッチアップすること、剣道はリハビリと使える部位のトレーニング、そして一刀流から二刀流へのコンバートを行い、正規選手まであと一歩、早慶戦には3、4年時に出場することになります。
就活に関しては当初損保業界を志望していたものの、大手損保は全敗、また、証券のOB訪問で言われた「金融でできることは証券でもできるぞ!」との一言が決めてとなり、大手証券会社へ進路を進めることとなります。
【大手証券編】
最初の集合研修の研修担当が、なんと証券剣道部の先輩(剣道クッソ弱いくせに性格悪い)で、研修は面従腹背の日々を送り、研修が終われば関東地方の激戦区の支店配属というかなり気合の入ったスタートでした。
当時は「とりあえず数こなせば何とかなるべwww」みたいなスタンスで配属4営業日目で外貨建て債券を初商いで決め、その後もこつこつと成績を残し、最終的に収益だけ見れば同期中上位2割くらいの所にいました。
3年目に色々資格を取っていく中で、「事業承継・M&Aエキスパート」という資格に出会い、中小企業のM&Aに面白さを感じ、4年目に転職します。
【M&A仲介1社目】
半年の充電期間を経て飲食・不動産業特化のM&A仲介に転職しました。
そこでは最初は純粋なM&Aアドバイザーとして、入社3カ月目から兼業で新規事業の立ち上げとマーケティング担当になりました。
結果的にM&Aの成約は1件、webサイトの立ち上げとブログの執筆に携わりました。
仕事自体は楽しかったのですが、割とマイクロマネジメント的な側面が強く、息苦しさを感じ、退職しました。
【M&A仲介2社目】
ここは中堅の証券会社だったのですが、M&A部隊の立ち上げを行うとのことで参画しました。結果としてM&A部隊の立ち上げには成功したものの、社内政治によって私を推して下さった方々が失脚、反対勢力に追いやられる形で退職しました。
【光通信】
光通信グループのファイナンス部門に採用され、グループ会社、事業の売却による資金調達をメインに動いていました。
その中で海外企業から光通信グループに投資をしたいというニーズをくみ取り、ファンドとその運用資金を調達したりもしていました。
あとは、当時若干光通信の資本が入っていた会社があったのですが、そこが粉飾会計と社長の横領のダブルパンチで株価が大きく毀損した会社があったので、FAという形で資本業務提携に関与したりもしました。
光通信はやっていること自体は面白かったものの、オーナー企業ゆえ、かなり縛りがあり(例えば、契約書は電子署名しか認めない、契約違反を犯している会社でも利益の10倍以上で売却しなければならないなど。)自分自身納得のいかない部分が多く、退職しました。
(余談ですが、光通信の掛け声「ゾス!」は本社勤務だったせいか全く聞かず、入社研修でも「ゾスは死語になりつつあります。」というアナウンスがありました。)
【M&A仲介3社目】
税理士系のM&A仲介会社に転職しました。
そこはかねてより某メガバンクと仲が良く、そもそも案件は銀行や税理士法人が持ってくる形でしたので、ほぼ営業力0という状態からスタートでした。
私は自力での案件発掘、買い手発掘部隊の立ち上げと同時並行でM&Aアドバイザーをやっていました。
結果的に営業部隊の立ち上げ、セールスマニュアルの作成、M&A案件1件の成約を果たしました。
ただ、今にして振り返ればこの会社にいたときは心理的にも、肉体的にもマージンを削りながら仕事していたなぁ…と感じています。
【実家のガソリンスタンド&M&Aスタートアップ立ち上げ編】
M&A仲介3社目を辞める少し前に親戚経由で実家の経営がかなり苦しいことを知らされ、東京での生活に限界を感じていた為、実家に帰ることを決意しました。
帰ってみると実家の状況はかなり悲惨で、売上は最盛期の10分の1、債務は売上とほぼ同額、億単位の繰越欠損金が積みあがっている、みたいな形でした。
私は、家から少し離れた支店の店長として起用され、最大6名の店員のマネジメントを行いつつ、マーケティング活動、業務工数の削減、時には人員の再構築(いわゆるリストラですね…)や、時には会社の財務責任者である叔父と連携を取り金融機関、コンサル、会計事務所、M&Aアドバイザーの対応などを行っていました。
売上に関しては赴任して1年後に新型コロナウィルスの流行もあり、売上は半分になりましたが、かなりギリギリまで人員削減を行っていたのでそちらでカバーすることができました。最終的に元々6名いた支店を2名で回す(当時私は朝5時半から夜8時まで15時間労働、休みは火曜の午後のみ。月400時間労働を約600日続けました…)という離れ業を行っておりました。(ちなみに給与はあって無いような額だったりします笑)
その合間にSNS上で知り合った方々のM&Aのスタートアップをお手伝いする、という機会にも恵まれました。
主に指定されたリストや自分の人脈からの売り案件の発掘、強い買い手探しをお手伝いさせて頂きました。
1社は仕事を進めていく中で友人と価値観の相違があり、喧嘩別れをしてしまいましたが、2社目に関しては割と自由に仕事をさせて頂き、数件案件を進めている形です。
3社目はなんとTwitterからお仕事を頂くという形でした、私自身も営業のノウハウ、無形財産の承継、リファラル採用などあらゆることをやって行き過ぎたのか、代表から疎まれ、追いやられる形で退職を余儀なくされました。(しかも本格ジョイン前に…)
【現在】
現在は地場証券で日本株の営業をメインに行っております。
株の営業からはブランクもあり、日々悪戦苦闘の毎日ながらも
日々充実した日々を送っております。
というのが、私のざっくりとした生い立ちです。
いかがでしたでしょうか。
もし、よろしければコメント、DMなど頂けると嬉しいです!
今後とも宜しくお願いします。
かわしん