自己受容
僕は大学で野球をやっている。他のスポーツでもそうだが、喜びを感じることもあれば悔しさを感じることもある。とはいえ悔しさを感じることのほうが圧倒的に多く、それは自分の生き方や人生を考えるきっかけになったりする。
自分が思い描く理想の自分。それと実際の自分が違うということを受け入れるのには時間がかかる。試合で活躍出来る、もっと上手くプレー出来ると思っていても、そうではないということを実際の試合やスタメン発表の時に否が応でも知らされる。
理想と現実にどう折り合いをつけるか。
基本的には二者択一ではなくて、車の両輪だとは思う。現実を見ることも大事だし、理想を追うことも同じくらい大事だ。しかし、今問題なのは理想ばかりを追いかけて肝心の現実では何も出来ていないということなのだ。受け入れ難い現実を受け入れ、理想の自分とのギャップを正しく認識できるかどうか。
スポーツに限った話では無い。うまく出来ない自分を受け入れて、その上でどのように振舞うか?という問いは、程度の差こそあれど多くの人が抱える悩みではないだろうか。
「ありのままでいいんだよ」なんて口で言うのは簡単だが、じゃあそれを体現できるかといえば話は変わってくる。素直な自己受容というのは思ったよりも難しいのだ。自分が思う自己像が何よりのアイデンティティだし、それを否定するということは、アイデンティティだけでなく自分の存在意義を見失う事にも繋がりうる。
自分は出来る人間で今は調子が悪いだけだと思えたらどれだけ楽だろうか。理想の自分を捨てることなく、かつこの現状を説明することが出来る。今の不調は一時的なもので本来の自分はもっと出来る人間なんだ、と。
でも不調は一時的ではなく恒久的だし、”本来の自分”はいつまで経っても姿を現さない。
いい加減、この現状こそが「自分」なんだと認めなければならない。そうわかっていてもやっぱり受け入れるのは難しい。
『だめな自分』を受け入れ、地に足をつけて生きること。それは「どうせ自分はだめだから…」と卑下することではないと思う。自分が傷つかないように期待のハードルを下げているだけで、本質は変わっていないからだ。そうではなくて、自分を受け入れ、正しく傷つき、正しく苦しみ、正しく立ち直ること。それを自分に求めたい。
想像の中で生きるのは楽しいけど成長はしない。現実の中で生きて、自分をしっかり受け止められるようになりたいと思うし、案外そっちのほうが精神衛生上良かったりするのかもしれない。
何事にも一生懸命でいたいよね〜