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たまには昔の友人に連絡を取りたい
最近、よく考えることがあります。
それは
「ストレスなく、少しだけストレス受けるように生きたい」
今日はそんなお話です。
まず、この話の始まりは約2年ぶりに前職から仕事の依頼が来たことがきっかけです。前職はちょっと人間関係というか、マネジメントが嫌で辞めたのですが、結局吐き出したわけでもないので「ベンチャーがキツかった」と未だに思われていると思います。
マネジメント能力は低くても人間としては好きな人達でしたので
「久しぶりだな。皆、元気かな」ぐらいのテンションで話を聞いて案件を受けました。
私が最近感じている楽しく仕事をするために、には2つ条件があります。
ひとつは、考え方が受け入れられるか。
映像業界には「作品」を作る人たちがいます。私は売る側の人間なので「商品」を作ることが仕事です。どういったスタンスで仕事でするかは相手にお任せですが、このスタンスが相手に受け入れられるか、ということはとても大事な指針です。
もうひとつは、ワードチョイスが不快でないか。
「ワードセンス」みたいな言葉はよく言います。言葉選びのセンス。業界的に「刺さるワード」を生み出せる人に出会えたので思うようになったのですが、センスよりもチョイスが大事。友人関係では、ですけどね。
この辺のお話も面白いのですが、今日は脱線が過ぎるので簡潔に言うと
「私と話しているときに私が好きな言葉を使う人とは仲良くできる」ということです。
とても当たり前なこと。
でも考えてみると、中々出会えませんよね?
仲の良い友人でも飲み会中にケンカっぽくなったり、気が合う人なのだけど特定の話題については会話したくない、みたいなことって多い気がします。
仕事で言えば、ワードチョイスを見れば相手の為人(ひととなり)もわかるので一石二鳥ですよね、ラッキー・クッキー・八代亜紀。
大人になって自我が固まるとこの部分って動かせないです。
今回の本題。
自分のワードチョイスの基本っていつできたのか、ということなのですが、
ずばり多感な時期、もっと言えば小・中・高校の時だと思うんです。
だから連絡を取ってみたい。
新卒のときにCM制作会社に入って、プライベートと仕事の合間がない生活をしていましたら、同窓会とか呼ばれなくなってしまって。今更だけど呼んでほしい。
昔の恋人とか、かつてケンカした相手とか、なんとなく嫌いだった人とか色々な想いもあるけど、大人だし、数時間話して合わなかったら、もう会わないだけだし。
だから連絡を取ってみたい。
「ストレスなく、少しだけストレス受けるように生きたい」
ということには多感な時期の友人と大人になってから、また友人になることが一番可能性が高いのではないか、なんて思っています。皆、連絡ちょうだい。
先ほどから、受け身の姿勢が気になるかも知れないのですが、SNS全盛期の今。
LINEアカウントを消し、Twitterアプリをスマホから削除し、Instagramに至ってはアカウントを作ったことすらない私は電話とメールの住人(31)なのです。
高校3年の時から電話番号もメールアドレスも変えてないから連絡をくれ。
なんだったら最近つくったFacebookでも良い。連絡をくれ。
こちらからは連絡の取りようがないんだ。連絡をくれ。
数回会話しただけのクラスメイト。連絡をくれ。
たまには昔の友人と話したい。連絡をくれ。
でも、できれば美形の独身の同級生から謎に連絡こいって思っているうちは結婚できないなって思います。