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今さら聞けない日本の世界戦略②:自由で開かれたインド太平洋の過去・未来

少しの記事で、21世紀の日本にとって最も重要であるのが「自由で開かれたインド太平洋構想」の概略についてまとめた。

日々、世界のニュースを分析すればするほど、この自由で開かれたインド太平洋構想の重要性を再確認する。日本の繁栄のために、本当に大切な大戦略であるため、政治家や経済界のリーダーは当然理解しておくべきだし、市井の人々にも少しでも理解を広げたいと願っている。

本日は、21世紀の日本の命運を握る「自由で開かれたインド太平洋構想」の過去、そして未来をまとめてみたいと思う。

自由で開かれたインド太平洋構想の歴史を振り返る

自由で開かれたインド太平洋構想のルーツは、麻生太郎氏がかつて提唱した「自由と繁栄の弧(じゆうとはんえいのこ)」であると認識している。

それまでの日米同盟一辺倒、あるいは国連一辺倒ではなく、自由・市場経済・人権で共通の価値観を持つ国を増やしながら、ユーラシア大陸を取り囲むように欧州~中東~インド~東南アジア~日本の大連合体のようなものを目指しましょう、という壮大な構想であった。

インド~東南アジアの成長を取り込みつつ、中東から日本までの貿易路(シーレーン)を保守するというのが、この構想のひとつの目的であった。

はじめてこれを目にしたとき、日本にもこういう大局観のある外交を組み立てれる政治家もいるのだな~と、ちょっと日本政治を見直した記憶がある。

思えば、第一次安倍政権時代の麻生外務大臣が提唱した概念であったから、安倍晋三氏の構想と後にオーバーラップしてくるのは必然であった。

安倍氏の提唱した「自由で開かれたインド太平洋構想(初期には”戦略”と銘打っていた)」は、麻生氏の「自由と繁栄の弧」のアップグレード版である。

その安倍氏は、その構想を実現するための実体としての「日本-アメリカ-オーストラリア-インドのセキュリティ・ダイアモンド構想」を提唱し、それが今や日米豪印のQUAD(クアッド)として結実した。

日米豪印QUADは、自由で開かれたインド太平洋構想の中核である。

日本初の戦略が、はじめて世界共通の戦略となった

そしてこの「自由で開かれたインド太平洋構想」の最も凄い点は、日本発であるにも関わらず、今や世界が重視するグローバル戦略となっているというところである。

この日本発のアイデアが、世界の中心に据えられる上で重要な役割を果たしたのが、安倍氏が築いた各国要人との人脈である。特に、トランプ米大統領を巻き込んだことによって、潮目が変わった。

アメリカ太平洋軍の名称が「インド太平洋軍」に変更された。トランプ米大統領も「自由で開かれたインド太平洋」「自由で開かれたインド太平洋」と連呼し、それが今や政権が代わっても継承されている。さらにイギリスがインド太平洋地域に回帰しようとしたり、EU諸国もインド太平洋地域への関与を深めている。

安倍氏は言いっぱなしではなく、自身をアイデアを世界に広める努力をして回ったのである。日本発のアイデアが、世界共通の大戦略の骨子となった、これは日本史上はじめての出来事であった

さらに興味深いことに、イギリスやEU諸国のインド太平洋地域への関与の深まりにより、結果として「自由と繁栄の弧」も実現されようとしている。

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インドに着目した先見性

せいぜいアメリカと極東アジア諸国ぐらいしか見ていなかった多くの政治家と異なり、安倍氏はかなり早い段階からインドに着目していた。

それを理解するには、モディ首相の追悼文を読むのが最も適切である。

私が初めて安倍さんに会ったのは、私がグジャラート州の州首相として日本を訪問した2007年です。以降、私達は役職や儀礼の枠を超えた友情を育んできました。

下記記事より

 京都では共に東寺を訪問しました。共に新幹線で旅をしました。アーメダバードのサバルマティ・アシュラム、カシのガンガ・アーラティにも行きました。東京では趣向を凝らした茶の湯を楽しみました。私達は実に多くの思い出深い交流を重ねてきました。
 中でも、山梨県の富士山麓にひっそりとたたずむ安倍家の別荘にご招待いただいたことは、大変名誉なことでありました。
 安倍さんが、首相という役職から離れていた2007年から2012年、そして2020年以降も、私達の個人的な絆はますます強固なものになりました。
 安倍さんとの会合は、毎回、知的な刺激に満ちていました。安倍さんは常に、統治や経済、文化、外交政策やその他様々な分野に関する新しいアイデアや貴重な洞察を沢山共有してくださいました。
 グジャラート州の経済政策を策定するにあたり、私は安倍さんの助言を参考にしました。そして、グジャラート州と日本の間に活力あるパートナーシップを構築する上で、安倍さんの支援は不可欠でした。
 その後、インドと日本の戦略的パートナーシップを変革させるというこれまでにない取り組みにおいて、安倍さんと共に働くという栄誉に恵まれました。安倍さんは、それまで比較的経済面に限定されていた印日二国間関係を、国家利益にかなう他分野に拡大しただけではなく、両国そして域内の安全保障の柱となりうるよう、より広範かつ包括的な関係へと昇華させたのです。

安倍氏とモディ首相の交遊の始まりは2007年に遡る。その後、日印関係が深化していく様子については、モディ氏の追悼文の通りである。

では、何故インドだったのか?

インドは間もなく人口で中国を追い抜き、世界一の超大国となると見込まれている。カーストなどの問題はあるものの、中国とは異なり民主主義国家である。そして何より親日的な国柄がベースにある。

日印が手を組むことで、日本から中東に至るシーレーンの大部分は安定し、膨張路線をとる中国に対するけん制にもなる。さらに未来の超大国と懇意にしておくことは、我々の子孫にもきっと大きな恩恵をもたらすだろう。

さらに、インドは実は取り扱いが難しい国であるという問題もある。インドは伝統的に非同盟主義であり、アメリカにも中国にもロシアにも等距離外交を取ろうとする傾向がある。このどこにもなびかないインドをぐっと日本寄りにすれば、それは日本にとっても大きなパワーとなる

そういう意味で、第一次政権の時代からインドの重要性に着目していた安倍氏もまさに慧眼と言える。ローマは一日にしてならずの言葉とおり、2007年からの積み重ねが大きな意味を持っている。

自由で開かれたインド太平洋構想を継続的に発展させていくためには、引き続きインドとの関係性には格別の配慮が必要である。まさに、インドは日本の世界戦略における要石となる。

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自由で開かれたインド太平洋構想を側面支援する構造

さらに、自由で開かれたインド太平洋構想には、日米豪印QUAD以外にも、それを強化発展させていくための”仕掛け”が複数準備されている。

それが環太平洋パートナーシップ(TPP)であり、インド太平洋経済枠組み(IPEF)であり、青い太平洋のパートナー(PBP)であり、比較的最近のものとしては半導体同盟であるチップ4である。

更に日本が参加していない枠組みといて、米英豪安全保障条約(AUKUS)であり、ファイブ・アイズがある。そして、NATOもインド太平洋地域に拡大してくるかも知れない。

逆にいえば、「自由で開かれたインド太平洋構想」というものさえ理解しておけば、世界で起こっているかなりの出来事が色々とリンクしてくるのが分かるということでもある。

自由で開かれたインド太平洋構想の未来

ということで、日本が今後も繁栄をつづけれるかどうかに関して、自由で開かれたインド太平洋構想というのはかなり重要な意味を持っている。もしも政府が「自由で開かれたインド太平洋」と言わなくなってしまったら、それは日本にとって終わりの始まりであろう。そういう意味で、国民は意識を高めて政治を見ていく必要がある。

そして、現時点で日米豪印に続くキープレイヤーとなるのが、EUを離脱しシーパワー(海洋国家)大国としての復活を目指すイギリスであると思っている。その意味で、イギリスの動向は絶えず注視している。

F2の後継戦闘機の開発が、日英協力になったのは素晴らしい。さらに、イギリスのTPPへの加入も急ぐべきだろう

そして、次に注目しておくべきは東南アジア(ASEAN)地域である。ASEAN諸国を自由民主主義国家連合(通称:青組)がとるか、権威独裁主義国家連合(通称:赤組)がとるかが、経済面でのメインのバトルフィールドとなっていくと思う。

ASEAN諸国は、「え~アメリカと中国どっちか選べなんて、そんな酷な・・・ワシらどっちとも付き合いたいんや!」という国が多いので、アメリカのクッション役として日本が果たせる役割が大きいと思う。

今後、日本の総理大臣や外務大臣が東南アジアの首脳と会う機会には、そういう目で見てみるとニュースが少し面白くなるのではないかと思う。(思い起こせば、第二次安倍政権発足時、安倍首相が最初の外遊先に選んだのは東南アジアであった)

ということで、日本が10~30年スパンで目指すべき立ち位置は、「青組のアジアのリーダー」だと思う。いずれ、インドが日本・中国を超える超大国となるだろう。少なくともそれまでの間は、日本がアジアにおける自由と民主主義の守り手として活躍する場は大いに残されている。そして財界人は、これからは金もうけのために中国よりも東南アジアやインドに目を向けて欲しい。


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