強制力を持った措置の作用と反作用

久しぶりに海外のニュースから。

新型コロナウイルスのいわゆる「第1波」のとき、欧州各国は罰則規定を設けた外出規制など、いわゆる「強制力を持ったロックダウン(都市封鎖)」を行っていた。

対する日本。緊急事態宣言は「強制力のない緩々な”自粛のお願い”」であり、欧米のように罰則規定を設けるべきだという論調もあった。

これは、日本政府が責任を負わず、国民の自助努力に任せるという、ある意味で究極の無責任政策であるのだが、日本国民の良く言えば「和を重んじる心」、悪く言えば「同調圧力に逆らうことへの恐怖心」の力をもって、いったんは見事にコロナウイルスの拡大をほぼ収束させるに至った。

そして現在も、日本政府は優柔不断な政策を続けているわけだが、対するドイツでは「強制力を持った規制」に対する抗議デモが起こっている。これは興味深い現象だ。

奔放なアメリカ人のコロナパーティーはともかく、比較的厳格で規律を重んじるドイツ人でも長く続く強制措置には反発心が沸くということだ。強制力を持った措置には、作用とともに強い反作用が生じるということなのかも知れない。

こう考えれば、日本のゆるゆる政策も結果オーライだったのかも知れない。

とはいえ、いつまでも結果オーライばかりで良いのだろうか?こういう世界の現実を参考にしながらも、賢明な政策を期待する。


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