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恐怖とは何なのか。

みなさんこんばんは、カワハラユウヤです。

福岡県のとある写真館にて、カメラマンをやっております。

最近カメラに関係のない投稿が多くなってきていますが、今日もそんな内容です。

恐怖とは、「わからない」ことである

恐怖。今回はこの言葉について私の考えをお話しします。

恐怖とは、ものすごく端的にいえば、

わからない

ということかと思います。

お化け屋敷が怖いのは、進路が薄暗くて何があるのかわからない、この先に何が起こるのかわからないから。

自分が何をやるのか決めきれずに戸惑っているのも一種の恐怖です。自分がそれを行った先に何が起こるのかがわからないから。


人って、わからないこと、わからないものに対して恐怖を抱くのです。

わかってしまえば恐怖は無くなるはず

恐怖とはわからないこと。

じゃあ、逆にわかってしまえば恐怖は無くなるのです。

人っていつ死ぬかわかりません。これに関しては、恐怖心は残ってしまいます。

でも、100%死ぬのはわかりきっています。これに関しては恐怖を抱くのは無駄なことです。死にたくないっていっても、死ぬときは死ぬんです。

いずれ死ぬ、死ぬときは死ぬ、そこに恐怖を感じない。結構重要な心持ちだと思います。


他のあらゆることでも同じです。

わからないものをわからないままにしているから怖いのです。

ならわかるように勉強すればいい。そして、やってみればいいのです。

やってみれば新たなわからないことが出てきて、また勉強する。その繰り返しです。

それでも、全てをわかることはできない→恐怖は当たり前のものだ

人生100年といわれるようになってきましたが、それでも全てを理解するには人生短すぎます。

それこそ、「5億年ボタン」のようなものがない限り、人にはあらゆるものを理解する時間も脳味噌もありません。

一生生きててもわからないことだらけです。ということは、恐怖というのは当たり前にあるのですね。

当たり前にあるのなら、恐怖を怖がってもしょうがないですね。

恐怖というのは今もそこにあります。ただ、こちらに何か語りかけてはきません。そういう類のものです。

僕たち人間は全てはわからない、恐怖はすぐそばにあると認識した上で、日々を生きていくのです。


こうなれば、恐怖は普通のこと。普通のことならば特段気にする必要もありません。

日々わからないことを理解していく、そうやって生きていけばいいのです。

恐怖は怖がる人には大きくなり、怖がらない人には無いも同然。

怖がるだけ精神にマイナスだと心得て、日々生きていきましょう。


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