きみえのアート探訪#3
神は物体ではないので時々人間の身体を借りることがあるということを聞いたことがある。
私は臆病な生き物であり、なぜそんな自分なのだろうかと原因を探しながら生きていた。
笑いたいときに笑えばいいし、泣きたいときに泣けばいい。
でもそれもできないくらいに臆病であった。
美術館に行くのが好きなのに
アートを鑑賞するときでさえ、
自分の感じるままに感じることに臆病だった。
どこをどう観るのが正しいかなど正しい方法を探しながら観ていたのだ。
数年前、そんなのやめちまえ!
と思い立ち、
前勉強なしに鑑賞することにした。
自分なりに「いいな」と感じた作品だけじっくり観るスタイル。
何回も続けていくと、自分の中にある一定の好みがあることがわかってきた。
また、作品から目に見えないなにかを感じ、胸の奥からくぐーっと波が押し寄せるような気持ちになったり、自然と涙があふれてきたり。
今日は郡山市立美術館「石田智子展」へ行ってきた。
そのなかで私が感じたこと。
人の中に神を見たときに私は感動するのだなということ。
無数の紙縒り(こより)から形づくられた作品はガラス越しに観ると雪でつくられたふんわりしたオブジェのようでもあるが、自分の瞳越しに観るとパキッと固そうな雰囲気。
作家の方はこれを生み出すときに
全神経を集中させてつくったのだろうということは想像できる。
こんなにも細くて軽いこよりをあのような大きな作品にしていったんだから。
私はそこに神を感じた。
人の仕事のなかにいる神を。
胸の奥から波が押し寄せ、私の心は何かにギューっと掴まれたようだった。
私はバレエの舞台を鑑賞するのも好きだし、人がトレーニングをしている動画を観るのも好きだ。
私はそこにも神をみている。
しなやかな身体から溢れるエネルギー、そこにやつはいる。
そう、神である。
神、神と連呼すると宗教じみた怪しい人のようだけど、
他になんとあらわせばいいのか分からない。
前々から春分の日は美術館に行こうと思っていた。
来てよかった。
今日ここに来て、胸を震わせたこの出来事はきっと次の春分の日に繋がると思うから。
そして私はどんどん臆病じゃなくなっていく。
私が私らしくいるために。