夏の句を詠んで感じる季節の変化 数学好きが学ぶ俳句の世界:取り合わせ句にも挑戦
数学好きの筆者が俳句の世界に足を踏み込んで、はや半年が経ちました。まだまだ苦労もありますが、少しずつ感覚が掴めてきて成長を実感しています。
前回の記事では、俳句初心者の筆者が春の句を実際に詠みながら解説し、季語についても少々お話ししました。
今回は夏の句を詠んで、季節の変化や取り合わせ句について解説してみたいと思います。
夏は初夏、夏至、梅雨、盛夏と景色が目まぐるしく変化する季節です。また、暦上では立秋を過ぎても夏のイメージが強いこともあるため、注意が必要となります。
また、俳句には取り合わせと呼ばれる詠み方があります。今回、筆者はこの取り合わせ句にも挑戦しましたので、それについても解説したいと思います。
読者の皆様が句作りの参考になれば幸いです。
まず、前回掲載できなかった春の句を紹介します。
季語はたんぽぽ(漢字で書くと蒲公英)。
土手一面にたんぽぽの花が咲いている姿はなんともきれいで春らしい風景ですよね。
そこに風が吹いて、土手の草花が一斉にそよいでいる瞬間を詠んだ句です。暖かいのどかな風をイメージしていただけると良いかと思います。
ちなみに、この句でひらがなを多用したのは意図的です。同じ句をすべて漢字で書いた場合と比べてみてください。
→蒲公英の土手一斉に戦ぎけり
こちらは少し硬いイメージになりますし、土手と一斉の区切りもわかりにくくなってしまいます。
俳句は耳で聞いた響きだけでなく、目で見た時の文字のイメージにも注意を払う必要があるのです。
続いては、初夏(ゴールデンウイークを過ぎた頃)に詠んだ句です。
清和とは、旧歴四月の時候を指す季語。空が晴れて穏やかな、まさに初夏らしい景色が見られる頃です。
この季節になると山々も春とは異なる様相を見せ始めます。草木が茂り、青々とした光景が広がります。
青い空、緑の山々に日差しが差し込む光景。橋から眺めたそんな風景を詠んだのがこの句です。
筆者は俳句を始めてから、日々の風景をじっくり観察していますが、初夏から夏至にかけて、草木の緑がどんどん濃くなっていく様子を目の当たりにしました。
また、六月中旬から七月上旬にかけては全国的に梅雨の時期。この時期にも紫陽花(あじさい)や蝸牛(かたつむり)など題材になりそうな季語がたくさんあります。
そして、梅雨が明けると夏本番の盛夏です。向日葵(ひまわり)や蟬(せみ)などの季語が登場し、暑さがピークを迎えます。
これらの季語を知ることで、季節の変化を感じ取ることができるのです。
春に南方から渡ってくる燕は、四月から七月にかけて二度産卵すると言われています。夏のこの時期、親燕は産卵や子育てのために忙しく飛び回る姿がよく見られます。
俳句の世界では、単に燕と書けば春の季語ですが、夏に見かける燕は夏燕と呼ばれ、夏の季語として扱われます。
さて、実はこの句は筆者が初めて取り合わせ句に挑戦したものです。
取り合わせとは、一見無関係な二つの要素を組み合わせて句を作る手法です。この句では、「ストローを伝う気泡」と「夏燕」を結びつけています。
俳句入門書にはよく取り合わせ句の作り方が書かれていたりしますが、実際に作るとなるとなかなか難しい…
どうしても一つの要素に焦点を絞ってしまうんですよね。
そういうわけで、筆者もなかなか取り合わせ句を詠めずにいたのですが、
ある夏の日、駅前で親燕が子燕のいる巣から勢いよく一直線に飛び立つ姿を見たあとに、ふと立ち寄ったカフェ。
そこでアイスティーを飲んでいた時にふと、この二つで取り合わせできないかと思いついたのが上記の句なのです。
取り合わせ句は、要素同士の距離感がちょうど良く、イメージが鮮やかに伝わる場合に優れた句になります。
筆者の句の評価は読者に委ねたいと思います。
炎昼とは真夏の灼けつくように暑い昼を表す晩夏の季語です。
今年の夏はまさに、この季語がぴったり合うような異常な暑さが続きましたね。
この句は、そんなある日にお寺へ出かけた時に詠んだ句です(ちなみに、伽藍堂とはお寺の建物を指します)。
アスファルトの地面と違って、お寺の境内は多少なりとも暑さが抑えられるだろう
…と思っていましたが、そんなことはなかったですね。とにかく直射日光がきつかったです。
ちなみに極限の暑さを表す季語には、極暑(ごくしょ)、酷暑(こくしょ)、劫暑(ごうしょ)、猛暑(もうしょ)などがあります。どれも見るだけで嫌になりそうな言葉…
さて、そんな暑さの中でも、じっくりと観察してみると秋の気配を感じることができます。
筆者はすでに、蜻蛉(とんぼ)が町中を飛んでいるのを目にしました。朝顔(あさがお)も咲き始めており、夕方には蜩(ひぐらし)の鳴き声も聞こえてきます。
これらはいずれも秋の季語ですが、こうした兆しを見つけることで、この異常気象に対する感じ方も変わってくるのではないでしょうか?
以上が、筆者の句の解説となります。
まだまだ未熟ではありますが、これからも俳句を詠みながら成長していきたいと考えています。
追記
最後まで記事を読んでいただきありがとうございました!