パラノイアな祖父をめぐる旅 1
明日の夜、成田から格安の飛行機に乗り、実家のある大阪に帰る。明々後日の朝の飛行機で東京に戻ってくる。わざわざこんな時期に短い里帰りするのは、とある動画を撮るためである。
先日、今通っている学校のようなもので課題のようなもの(ようなもの、が多くて申し訳ないが、それを説明し出すと長くなるので割愛)が出された。その内容がドキュメンタリー映像を作れというものであった。要するに大阪でそのための動画を撮るのである。
ドキュメンタリーの自主制作という課題を聞いてから、僕はまああれやこれやと悩んだ。結果、とりあえずこんな機会がなければ一生聞くこともなさそうな、父とその祖父の話を聞くことにした。
父方の祖父は僕が小学校6年(僕は今24歳)の時に亡くなった。その祖父は少し変な人であった。僕が小さい頃からほとんど寝たきりで、孫である僕たちが遊びに行っても特に嬉しそうな表情は見せなかった。ボケているのか、話している内容は大抵筋が通っておらず、というか、言葉を聞き取ることも難しかった。
僕は高校~大学にかけてのある期間、精神科に通っていたことがある。母は息子がそんなことになったことにとりあえず一通り取り乱し、最初は精神科についてきた。
診察室に入ると、メガネをかけた小柄な医者が座っていた。色白で表情も暗く、正直あまり精神的に健康ではなさそうに見えた。彼はいくらか質問をした。
「潔癖症なところはありますか?」
「いいえ」
「遅刻癖はありますか?」
「いいえ」
「集中力がないとかは?」
「多分人並には…」
「スケジュール通りに行動するのが苦手?」
「(遅刻癖はないって言ったよな?と思いながら)いいえ」
「家族が心療内科にかかっていたことはありますか?」
僕はよく知らなかったので答えに詰まった。代わりに母が答えた。
「私の方が、一時期鬱のようなもので」
(『お前もかい!』というツッコミは割愛)
医者はなにかメモした。母は続けた。
「それから、父方の祖父が誇大妄想癖のようなもので」
僕は久しぶりに祖父を思い出した。
祖父が誇大妄想、母が鬱。
その時、自分が精神疾患のサラブレッドであることを知った。ディープインパクト。
その時から、祖父がどういう人間だったのかということが気になり始めた。
祖父が誇大妄想だったのかどうか確認する記憶は少ない。ただ、父が一度、祖父について「自分が天皇の子孫やとか言い出すんや」と言ったことは覚えている。それが本当なら、僕の部屋はなぜこんなに生活感があって狭いのか(皇居の内部の様子は知らないけれど)。
父は父で変な人である。そこそこしっかりした大学を3度の留年の末に卒業し、僕が幼い頃の土日はほとんど何かのデモに出かけて、天皇の話が出るとなぜか不機嫌になる。こう書くと不公平な気もしてくるので、僕の野球の試合をルフィのような麦わら帽をかぶって観戦し、チームメイトの父兄に注目を浴びたというチャーミングなエピソードも紹介しておく。
祖父が本当に誇大妄想だったのか、それとも僕が何かの手違いで天皇になり損ねた神話的異端児であるのか、古事記を紐解けば分かるのであろうが、今たまたま僕の手元にはない。ということで実際に父に尋ねることにする、というのがドキュメンタリーの内容になる。そのあたりのことが分かれば、スケールの大きいような、小さいような、まあとにかく僕の興味は満たしてくれる動画にはなるだろう。案外、そんなことあったっけ、と言われて終わる可能性もある。まあ、それならそれで仕方ない。
今日の文章はこのあたりで終わる。
いつもは何か書き終える目算があって書き始めるが、一度くらい着地点が見えていないまま飛んでみたかったので書いてみた。
「ドキュメンタリーを撮る24歳の男」のドキュメンタリーとして楽しんでもらえたら嬉しい。というかまあ、読んでもらえたら嬉しい。嬉しい、というか、とりあえず読んでくださいな。読みなさい。読め。読んでくれたまえ。日本語は難しい。
珍しく、乞うご期待、という締め方をする。
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