ジェネレーション・トーク

 懐かしいトークテーマについていけない。同級生で集まるとそういう話題になることも少なくないが、出てくるモノに軒並み馴染みがない。流行に乗れずに育ってきてしまった。

 ゲーム機は買ってもらえなかったから、ポケモンとかの話題はよく分からない。「はねとび」も見ていなかったし、…と続けて例を挙げようと思ったけれど、例さえ思いつかない。それくらいついていけていない子供だった。だからと言ってマニアックな趣味を持つわけでもなく、単に「知らない」というマイナスポイントだけを背負う子供だった。


 そんな僕にとって、唯一ついていける懐かしいトークテーマはプロ野球である。

 僕が熱量を持って話せるのは、金本、藤川、矢野、ラミレス、阿部、内海、小笠原、アライバ、森野、WBCの岩隈、細いダルビッシュ、そんな世代の話だ。選手名をあげるだけで年齢が分かる気がする。

 考えてみれば野球が世代トークのテーマになるのは少し不思議に思える。プロ野球はいまだに続いているし、大谷翔平とか当時以上にすごい選手もいる。でも僕は現在のプロ野球の話題についてはそれほど詳しくない。僕にとってのプロ野球は、フルイニング出場の世界記録を毎日塗り替えていた金本であり、頭より高いボール球で空振りを取る藤川であり、ダルビッシュ・松坂がいる中でWBC決勝アメリカ戦に登板する岩隈である。当時のプロ野球は僕にとって、端的に言って「神話」だった。金本の方が大谷より身長が高い気がする。

 小中学生の僕はプロ野球に本当にのめり込んでいた。新聞で毎朝個人成績をチェックして、図書館で週刊ベースボールを毎週読んでいた。そんなことしていたからプロ野球以外の懐かしいトークテーマを持たないのかもしれない。

 しかし、いつしかそれほどの熱量でプロ野球にのめり込むことはなくなっていた。プロ野球に神話を見ることもない。監督時代の姿とは関係なく、金本は神様ではなくなってしまった。端的に言って、僕は多感な時期を終えたのである。


 僕にとって野球が神話じゃなくなったのは、大学生の時だと思う。大学野球をやる中で、野球は全く神話ではなく、ただのスポーツになった。ボールを投げて打って走る精度を比べるだけの競技になった。そして僕は大人になった。


 言うまでもないことだが、プロ野球は神話ではない。スポーツであり、エンタメである。それでも何も知らない少年だった僕は、プロ野球に神話を見た。

 当時の僕はテレビの前に座って、この画面の中で野球をするのが一番すごいんだと思っていた。アメリカに勝つ日本の選手が一番すごい。イチローが史上最強のバッター、本気でそう思っていた。それはもう、信仰の領域だった。「アメリカはいい選手出てないしな」とか思う余地もなかった。アホで、楽しい時代だった。

 

 多感というのは、アホなことを意味する言葉に思える。疑いも、検証も、客観も、全てを持たない人生のあの時期、僕は間違いなくアホで、多感だった。

 大学で野球をすると、アホではいられなくなる。勉強と自主練の時間を天秤にかけたり、バットの値段と食費を比べたり、試合と就活で迷ったりしているうちに賢くなってしまう。野球は神話ではなく現実になる。人間的完成にとって大いに意味のあることなのだろう。でも、賢い人間に神話は見えない。賢い人間の見る世界は現実的で、合理的で、ちゃんとしてて、面白くない。

 僕は大学で初めてこんなことを理解した。親に高校まで甘やかされて育てられたのだ。僕は高校で、本当に野球だけしていればよかった。アホでいられた。

勉強している時、父親に「お前勉強なんかしてんのか」と言われたことがある。もしかしたら両親も「息子の野球」を信仰していたのかもしれない。


 プロ野球はエンタメの一つである。そう気づいた時にプロ野球の神話は終わる。観客がいて、テレビで流されて、お金が払われて、それで初めて成立する。それは事実だけど、事実なんだろうけど、そう思って見るプロ野球はめちゃくちゃ面白くない。日本記録更新って何やねん。内輪ではしゃいでるだけやんけ。お金を払ってもらう装置の一つやんけ。そう見えてくる。打ったボールが1年間に56回スタンドまで届いただけ。


 子供にだけ見えるものは間違いなくある。子供は世間知らずで、何かを比べることをしない。今目の前のものしか見えていない。僕もその頃に見た景色をもう一度見たくて、なんとか夢中になろうとする。スマホの画面に映る大谷は、結局すごく高いWARを持つ選手にしか見えない。そんな事実がとても寂しい。僕にはもう、神様がいない。


 YouTubeが流行して、コンテンツが増えすぎて、なんだかなあと思う気持ちの根底にもこんな感情がある気がする。水曜8時、子供はこの番組しか見ることができない、という状況で見るテレビには神話があった。兄妹がテレビの前で見ているだけじゃなくて、友達も同じ時間に同じ番組を見ていた。あの頃に感じた、皆同じものを見ている、信じているという甘い興奮は失われてしまった。皆が皆好きなものを見られるようになった。それはすごくいいことなのかもしれない。でも、あの狂信的な熱中が無くなるのはやっぱりすごく寂しく思える。僕にはもうトトロは見えないけど、確実に見たことはある。今の少年たちには見えているのだろうか。今の子供が大人になった時、懐かしいトークをすることはあるのだろうか。


 僕が失った懐かしい感覚を取り戻したくて、平日の昼間に『千と千尋の神隠し』を見ている自分に気づく。情けなくて泣きそうになる。
 現代の神話はどこにあるのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?