安楽死に対して私が考えたこと

安楽死とは何か

私は、安楽死について「死へと向かっている当事者に対して、なるべく安らかに、楽に死ねるための手立てを施す行為」と理解している。

つまり、その理解に基づいて安楽死の定義を整理すると

1. 死への結果が回避不能 【不可逆性】

2. 緩和すべき苦痛の存在 【合理性】

であると考えられる。また、違法性阻却の前提として

3. 代替手段の不存在 【必要性】

4. 当事者の意思表示 【任意性】

が挙げられる。


安楽死と殺人(嘱託殺人や自殺幇助を含む)

殺人、特に安楽死に偽装した殺人との線引きに注意する必要がある。

安楽死と殺人は明確に区別されるべきである。

特に、優生思想(様々な弱者の生きる権利を侵害する考え方を含む)の実現手段として安楽死を利用する考え方は、明確に否定されるべきである。

現に生きている人が「生きづらい」や「苦痛がある」からというのでは、安楽死を選択する理由になりえない。(苦痛の緩和は、生きている状態で緩和されるべきであって、緩和の見返りに命が奪われるのは許されない)

安楽死は、「目の前の差し迫る死」と「その死がもたらす苦痛」に焦点を当て、その「苦痛の緩和」のための手段であるべきである。

ゆえに、ALS患者への嘱託殺人(2020/7/23逮捕)については、前述の定義に当てはまらない(そもそも死は差し迫っていない、よって死がもたらす苦痛も当然存在しない)とするならば、本件は安楽死の議論以前の問題で、ただの嘱託殺人であると考えられる。


法整備と立法事実

いずれにせよ、安楽死の目的と定義を明確化し、その取りうる手段をある程度厳格な要件として示した法整備が求められているのではなかろうか。

その際には、安楽死が優生思想の実現手段として用いられることを明確に否定した法整備が必要であるとも思われる。


定義の整理

命を直接的に終わらせる「安楽死」や「医療的幇助自殺

安楽死 = 積極的安楽死 = 作為的安楽死
医療者によって遂行される場合

医療的幇助自殺
自分で致死的な薬剤を用いる場合

命を直接的に終わらせないけれども、治療をはじめからしない「差し控え」、途中からやめる「中止」という方法がある。

治療の差し控えと中止 = 消極的安楽死 = 不作為的安楽死


尊厳死という用語は、医療的幇助自殺に用いる場合も、治療の差し控えと中止に用いる場合もある

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