自社の「価値創造ストーリー」の理解度
1. 無形資産(intangible assets)や知的財産権(Intellectual property right)がなぜ重要か
知的財産権の重要性をどう語り始めるか
2020年代、無形資産や知的財産・知的財産権がなぜ重要であるかの文章を読むと、企業価値に占める無形資産の割合についてのオーシャントモ社のレポートや、改訂コーポレート・ガバナンス・コード(2021.6.11)の補充原則3-1②に「知的財産への投資」が含まれたことへの言及がある。 インターブランド社によるブランド価値が引用されることもある。
これら、日々の知財業務から遠い資料を引用しなければ、無形資産や知的財産権の重要性を説明できないのだろうか、という疑問が生じた。上記文献群への言及なしに、知的財産権がなぜ重要であるのか説明することに、自ら挑戦してみた。
読み手は経営層、CFOや経営計画・事業計画の立案者である。ファイナンスや財務の多少の知識を前提としている。
2023年3月24日に記載した後、忘れていて、2023年5月31日に書き直した。
写真は野毛山動物園のワニさんで、本論とは無関係です。
なぜ、知的財産権か[を説明しようという挑戦]
日本企業の企業価値は、米欧企業と比較して低い。資産計上の計算方法が決まっている有形資産については、欧米企業と日本企業でほぼ同様な評価がなされているとすると、日本企業がもつ(資産計上されていない)無形資産の大半は、企業価値の要素として投資家から評価されていない。
実際、簿価(清算価値)と株価による時価総額の比率であるPBRをみると、1倍割れの日本企業が多い。PBR1倍割れは、企業を清算して分解し、個別に売却した方が、事業を続けるよりも経済的価値がある、という状態である。
PBR1倍割れの企業が有する資産計上されていない特許権や商標権は、投資家の評価によると、経済的価値がないか、マイナスである。残念ながら、将来の収益に貢献する無形資産として評価されていない。
企業価値の源泉となる成長性と収益性の裏付けの多くは、土地建物や金融資産ではなく、目に見えにくい資産である。目に見えにくくとも、ソフトウエアなら、ユーザー数の変遷から価値創造や企業価値の成長性・収益性を予想しやすい。
「稼げる強み」の中心がソフトウエアである米欧の企業であれば、そのユーザー数の推移、単価、年間契約のサブスクリプション(比率)、ソフトウエアの利用により削減できる費用のボリュームなどから、投資家やアナリストが事業の成長性を予測しやすい。そして、成長性を予測したとき、現実がその見込みからずれにくい。
なにより、米欧の成長企業・高収益企業は、どのような価値を創造するのかという価値創造ストーリーが分かりやすく、それらの企業が描く未来への共感や期待が広がっている。将来への期待があり、成長性の予測をしやすい企業は、企業価値を安定して高めに予測してもらいやすい。
逆向きに、価値創造ストーリーへの期待が大きく、企業価値の高い企業は、経済的価値のある無形資産を持つのであろうと推定される。
それでは、日本企業の価値創造ストーリーは、分かりやすく、共感され、未来に向けて期待が集まっているだろうか。
日本では、あらゆる業種の製造業や、長寿の企業が活動している。各社は、多様な分野の技術、長年の信用に裏付けられたブランド、それらを支える人的資本やその育成の仕組みを持つ。製造から販売まで複雑にバリュー・チェーンがからみあっており、ビジネスモデルや価値創造ストーリーは複雑である。
価値創造ストーリーが複雑となると、ストーリーが分かりづらく、従業員や各部門の方向性をあわせることにコストがかかり、社会や投資家から将来に向けた期待を集めにくい。
ビジネスモデルや価値創造ストーリーに前提が多く複雑になってしまうと、からみあったビジネスモデルを解きほぐして分かりやすいストーリーにするための将来構想をせず、手持ちの技術そのものや、人材そのもの、歴史そのものという単純な内容をアピールしがちとなってしまう。
もちろん、価値創造ストーリーのみが重要で、無形資産や知的財産権が重要ではない、という結論にはならない。価値創造をするためには、無形資産や知的財産が必要であり、価値創造を模倣されないためにも、自社の個性である無形資産や、模倣から抑止するための知的財産権がなければならない。
どのように知的財産権が重要か
存在しうるすべての業種について企業があり、長寿の企業も多い日本では、第1に、自社に独自で、社会や市場の変化に追従する価値創造を構想(デザイン)し、実践しなければならない。
第2に、自社に独自の価値創造について、価値創造ストーリーとして社会や市場に伝えて行き、共感を集め、価値創造をしていく未来に期待を集めなければならない。
第3に、価値創造ストーリーに期待が集まるのであれば、その価値創造を真似されず、独自性に応じたプレミアム価格で販売しつづけるための知的財産権を構築し、機能させ続けなければならない。
日本企業は、だれに、どんな価値を、どのように提供するのか、という価値創造ストーリーを構想し、その価値創造のために投資し、実践する必要があるが、その価値創造を持続させるためには、自社の個性となる無形資産や知的財産権が必須となる。
結果的に、日本企業にとって、無形資産や知的財産権は重要だが、それ以前に、社会や顧客や取引先や従業員にとっての価値を生み出し、笑顔や感動を広め、その将来に向けた価値創造や価値創造の進化への期待を集めなければならない。
価値創造をとばして、無形資産や知的財産権に焦点をあててしまうと、価値創造に結びつかない無形資産に投資をしてしまい、売上や利益と結びつかず、そのため、成長や企業価値向上に結びつかなくなってしまう。
「なぜ知的財産権が重要か」ではなく、「どのように知的財産権が重要か」という文脈では、価値創造ストーリーの構想(デザイン)への期待が集まってこそ、知的財産権が重要になる。知的財産権のうち、過去・現在・未来の価値創造を模倣から守り持続させる知的財産権は、経営にとって重要である。
知的財産権は、侵害された際に損害賠償請求できる。日本でも、訴訟において侵害プレミアムが評価されるようになり、知的財産権の損害額も十分に高額になってきている。
そして、日本国内は原料に乏しく、知的財産を活用した加工や製造で、付加価値を生み出す以外に、日本経済の活性化の筋道を描きにくいことは確かである。
その筋道の中心は、価値創造ストーリーである。
2. 特許庁「知財経営の実践に向けたコミュニケーションガイドブック」と価値創造ストーリー
B1: 自社の「価値創造ストーリー」の理解度
コミュニケーションガイドブックのVチェックリストに、価値創造ストーリーに関するリストがある。
知財部門向けのチェックリストとなっているが、このB1のチェックリストは全ての部門に有効である。
B1 Level 1: 価値創造ストーリーを意識せず
B1のLevel 1は、無形資産や知的財産権の経営上の役割や意味を把握せず、知財活動をしている状態で、自社の経営計画や事業戦略と重ならない活動となっている可能性がある。他社への権利行使によりライセンス収入を得ることに強く焦点をあてている結果、自社の事業のプレミアム価格を持続させることから離れているかもしれない。
製品化前のアイデアレベルでの出願が圧倒的に多く、製品や競合品との重なり合いが少ない技術的範囲の特許が多い場合、結果的に、自社の価値創造ストーリー(資源・ビジネスモデル・価値)との関係性の中で知的財産を意識していないこととなる。
B1 Level 2: 価値創造ストーリーの提供価値との対応が不明
B1のLevel 2は、価値創造ストーリーと対応させずに、無形資産や知的財産権をアピールしている状態であり、自社の無形資産や知的財産権が、自社の事業が生み出す価値の裏付けとなっているかどうか、把握できてない。知的財産権と事業や提供価値が重なり合わなければ、事業やその製品・サービスは模倣されやすく、他社製品・サービスとの価格競争になりがちで、提供価値に見合ったプレミアム価格を持続させることができず、価値創造を十分な量、提供できない。次の投資に必要なキャッシュも稼げなくなってしまう。
B1 Level 3: ビジネスモデルを把握し知的財産権の役割がわかる
B1のLevel 3は、自社のビジネスモデルを把握しており、そのビジネスモデルでの無形資産や知的財産権の役割がコントロールできている。逆に、価値創造ストーリーが、自社のが強い無形資産や知的財産権の方に寄せられているから、長期的に真似されにくい価値創造を実現できている。
特許権や商標権は、価値創造ストーリーに期待が集まるかどうかについて直接的な貢献はできない。価値の内容やストーリーの説得力、財務的・社会的な意味に応じて期待が集まるかどうかが決まってくる。
特許権や商標権は、価値創造ストーリーに期待が集まり、競合からも注目されるようになったときに、競合の参入を抑止する役割を果たす。
知的財産権は、一定以上の利益率で販売できる市場機会を、通常の競争状態よりも長持させる。特許権や商標権があっても、一定以上の利益率で売れるかどうかは分からないが、一定以上の利益率で売れる製品・サービスについて、Level 3の状態の知的財産権があれば、その価値創造を持続させることができる。Level 2やLevel 1の場合には、知的財産権を多数持っていても、期待を集めたその価値創造を持続させることができない可能性が大きい。
価値創造ストーリーの構想(デザイン)
価値創造ストーリーを構想(デザイン)するというのは、価値創造ストーリーを唯一のものとして先に決めるのではなく、外部環境や機会を整理して、ウォンツ、ニーズを探りつつ、提供できそうないくつかの価値をリストアップする。それらの提供できる価値のうち、自社の個性の発揮でもあって、かつ、できれば知的財産権で保護しやすい価値創造に寄せると良い。このようなすり合わせには、部門横断的な対話が必要となる。
社内の部門を超えたコミュニケーションによって知的財産権で保護される価値創造ストーリーを構想できれば、そのゴールに向けて知財活動も微調整し、価値創造(事業計画)も微調整し、広報やサステナビリティの取り組みも微調整していけば良い。対話により、最適なストーリーをデザイン(構想)していくことで、社会から期待され、かつ、その価値創造を知的財産権の力で持続させることができる価値創造ストーリーへと、絞りこんでいくことができる。