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生成AIユーザーと技術〜AI絵師をめぐって〜

 P.F.ドラッカーは、知識が生産手段の中心となる知識社会の到来を予言し、さらに知識について次のように語った。

知識は本やデータバンクやソフトウェアの中にはない。そこにあるのは情報にすぎない。知識は人の中にある。人が教え学ぶものである。人が正しく、あるいは間違って使うものである。

P.F. ドラッカー著,上田惇生訳,『ポスト資本主義社会』名著集8
ダイヤモンド社,2007年 [原著1993年]

 人間が知識を間違って使うことはある。例えば、人間が技術を間違って使うことがある。そう改めて感じさせる「いいね」の数字が、増加している。

 2024年10月も終わる頃「AI絵師」、「生成AIユーザー」などの用語がX (旧Twitter)のトレンドに入っていた。

 このポストは、発信者である鈴木健治は生成AI出力物の社会問題と無関係で、たまたまトレンドでみかけ、つぶらな瞳で「なぜだろう?」などと疑問を述べてみて、古くから私を知る生成AIユーザーから「おまえがネガキャンしまくったからだろ、とぼけるな」とか言われたりして、笑いを提供できるかな、という意図だった。

 しかしそういうリプはこなくて、多様に分析的なリプがたくさん届いた。最初はRPなどしていたのだが多くなり、noteで紹介する決心をかためたが、紹介するのも面倒だなというリプも届いた。

 以下、偏見に基づいて紹介したいリプだけ紹介する。分類や統計処理はしない。削除希望については、あきらめていただくのが一番嬉しく、どうしてもの場合はXの方にどのポストを削除すれば良いか判りやすく教えてください。

  人間は知識(例えば、大規模言語モデルで学習したコンテンツと同種類のコンテンツを出力するための知識)を、正しく使うことも、間違って使うこともできたが、おそらくは、間違って使っている。

 普通、人(自然人および法人)は、他人のものをその人の許し(許諾)なしには使わないのに、LLMは、無許諾で、対価も支払わずに学習した。それは、知識の間違った使い方だ。

 技術を正しく使うために、技術者倫理、利用者のモラル、規制など様々な提案がある。開発者やユーザーの倫理やモラルではどうしようもない事例や証拠も示されたといえよう。

 規制当局(は色々あるが)の初動は、諸外国と比べて物足りないものだった。「機械学習天国」という法制度の環境下にあってなお、日本企業による生成AIシステムは国内外でシェアをとれなかった。被害や汚染だけが残ってる。

 その現状に心配する人たちは、生成AIがもたらすという生産性を信じたい人たちの幻想を砕ききれていないが、もたこさんの「いいねプロジェクト」は時代なり社会の認識がまた新しくなったことを示唆した。

 コーヒー、美味しいですね。まだ色々と続きますが。



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