北大サマーセミナー2024 Day 1午前田村善之先生「判例研究の手法:知的財産分野における「判民型」判例評釈の意義とその効用」について
北大サマーセミナーの現地参加は今回2回目で、生でライブの田村善之先生を堪能。演題は「判例研究の手法:知的財産分野における「判民型」」。
このブログ記事は、感想や今後自分がすべきことのメモです。田村善之先生がこう話していたという事実ではなく、私の理解力の範囲での記載です。ご了承下さい。また、講義内容に含まれない話題も含まれています。
田村先生の判例評釈の手法
判例研究の手法を、多くの知財研究者を育成してきた田村善之教授から、直接学ぶ機会となった。
1920年代に、米国留学後の末弘厳太郎教授が始め、特許法改正にご貢献いただいた我妻栄先生も初期メンバーという研究会から始まる。「判民型」判例評釈の手法である。
参考文献(1)の田村[2022a]は、末弘教授が提唱した判例研究の在り方について、次のように解説する。
田村先生はさらに、事案を前にした異なる裁判官の間に通底する判断の相場感があるはずだ、とでも表現できそうな仮説のもとで、判決文中の抽象的な要件や理由はみず、事案と判決のみを取り出し、独自の地図に描き、事案と結論をグループ分けしていく、という「徹底判民型」の手法を深めた。
判決文中の理由や抽象論をみずに、事案やその背景を理解し、その事件に対して裁判官がどのような結論としたのか、その理由や区分(地図の境界線)を探る。地図を作りながら、境界線を探り、ネーミングしながら、判決の事案を理解しようとしながらの模索であり、まさに知的格闘である。
徹底判民型の利点
田村先生は「徹底判民型」で判例評釈をする利点を次のように説示する。
田村先生や、田村先生のもとで学ぶ人が、徹底判民型で複数の判決を行きつ戻りつの試行錯誤をしながら、地図をつくりつつその地図に判決をプロットしていくと、ついには地図(場合分けの軸)ができ、その地図に境界線が引かれる。
例えば、応用美術の著作物性については、[1] 平面か、[2] 立体的で量産されているか、[3] 実用品の立体的な形状で、単体で著作物と目されるものが付着されているか、などの場合分け(区分)で、著作物であるかどうかの判断が整理できる。
この場合、3つの軸の地図に、判決がプロットされる。プロットをしつつ、区別に意味のある軸なのかどうかも行きつ戻りつ設定していくのだろう。平面か、立体かで分け、立体の軸では区分が難しい場合に、さらに量産か、付着されているかなどが判断を分ける軸が浮き上がるのだろう、という、創造的な思考と思われる。
この徹底判民型での判例評釈は、立法論に際しても有用な知見を提供し、もちろん、その後の判決文の文章がさらに洗練されていくだろう。
徹底判民型は、出発点では、判決文中の理由に着目しないが、地図を描き終えた後に判決をみると、おそらくは自ら見いだした軸についての裁判官の文章を判決文から再発見することもあるのだろう。これは、当初から理由に着目する分析よりも、裁判官が何を判断したのか、より迫った理解を促しそうである。
徹底判民型と構造主義
このような手法は、法学を離れると、例えば、クロード・レヴィ=ストロースが親族の基本構造を見いだしたり、フェルディナン・ド・ソシュールが言語には差異しかないと体系化したり、柳田國男が日本の基層文化を明らかにしたり、ウォーラーステインや柄谷行人が世界システムを帝国、周辺、亜周辺などと構造化したことと共通性がある。
特に、見事に手際よく構造化する人は、類い希であり、他者は簡単には真似できない。とはいえ、例えば柳田國男は弟子たちの文章も面白く、熱意とともに、何らかの方法論が伝えられたようにみえる。
田村善之先生は、この徹底判民型の、事案と結論に注目するという手法を、言語化し、多くの人たちに伝えようとしてくださっている。
特許法講義
例えば、田村先生の入門的教科書を読むだけで、この「徹底判民型」の手法が自然と身につく。
田村善之=清水紀子『特許法講義』弘文堂,2024.4(文献6)では、本文で唐突に具体的な事例説明が始まる。判例を紹介するという風ではなく、発明がどう動くのかが解説されている。その技術状況の理解のもとで、特許法の条文との関連性のある抽象概念が説明され、また場合分けされている。
北大セミナーで、清水紀子先生と立ち話することができ、『特許法講義』で、徹底判民型の成果が書いてあるところを紹介したいです、と相談してます。清水先生との対話をもとに、「徹底判民型だからこその『特許法講義』の魅力」を、別途ご案内できたらと思案中です。
『特許法講義』は、発明かどうかの物の本来の機能論(第31頁)にせよ、顕著な効果の取り扱いでの「試すこと自明」(第63頁)にせよ、実施可能要件とサポート要件の関係(第92頁)にせよ、具体的な発明の事例との関係で説明されており、抽象的な用語の意味だけで通り過ぎないようになっている。
サポート要件の判断基準についての解説(第87頁から91頁)や、間接侵害の解説(第177頁以下)は、実際に地図やフローチャートが記載されているわけではないが、まさに、徹底判民型の地図が描かれたような体系と感じる。
『特許法講義』の具体例への言及ぶりについては、道垣内弘人先生の『リーガルベイシス民法入門』(第5版,日本経済新聞出版,2024.1)と共通性がありそうである。もしかしたら、米倉明先生を源流とする徹底判民型の発想が、この2つの入門書の基層にあるのかも知れない。
講義を受けながら考えた質問
講義を受けながら、田村先生に質問する機会があれば何を聞きたいか、考えていた。
1 裁判官の集合的無意識
徹底判民型で研究をしようという際、裁判官などプロフェッショナルは、それぞれはっきりとは意識していなくとも、一定の相場感の内側で判断をするはずだという、確信があるのでしょうか。
その裁判官の間の集合的な無意識というのか、相場感というのか、個別の異なる裁判官がする個別の判決について、全体的に整合性がある判断が積み重なるのだ、という仮説に、名前をつけてもらえたら嬉しいです。
前半の「相場感」について、会場にて、「ビジネスの世界でいっていることはみんな違うけれど似たような値段をつけてくる、そういうプロフェッショナルの相場感のようなもの」という比喩で質問できた。
相場感はあると思うといったご回答だった。
後半のネーミングについては私の能力不足で話しきれなかった。
2 表現上の本質的な特徴を直接感得する
判決文で、結論が先で後から理由を描いた場合、トートロジーのような文章になりがちと感じます。真実の前後はわかりませんが、例えば「表現上の本質的な特徴を直接感得する」は、内包や外延を確定する境界線を描写できているのでしょうか。具体的な表現を前にして、どこが本質的な特徴なのか、客観的に特定するための基準が欲しいと感じます。
つまり、地図型・徹底判民型でアプローチしていく立場では、「表現上の本質的な特徴を直接感得する」に、裁判官の裁量を広げすぎるということ以外に、どのような意味があるでしょうか。
3 役割分担
田村先生は、知的財産法政策学として、市場・立法・行政・司法の役割分担についてご教授くださっております(「知的財産法政策学の試み」『知財の理論』所蔵など)。今日の講義をうけて、役割を担う重要な主体として、徹底判民型で分析をする研究者があることを知りました。
司法からの判決と立法との間に、法学研究が重要な役割を担っていると感じます。判決の基層の変化を見極めてけん引していく力も感じます。市場の役割を強調していただくのも研究者の重要な働きかけと感じます。
今後の役割分担論では、ぜひ、研究者を入れて欲しいです。
東洋君主的の意思表示の形式
中山信弘先生は、三ヶ月章教授に言及なさる。最近、白石忠志先生が『法律文章読本』(弘文堂,2024)で三ヶ月教授の文章を引用しておられた。
白石先生は、法律文章の入門の最後に、法律文章に不慣れな人による法律文章として不自然な使い方に対し、よほどの事情がないかぎり黙って大人の対応をすべきと説き、三ヶ月先生の次のエピソードを引用した。
警察官が法律用語を使用することで優越感にひたる「意識構造」を反面教師として三ヶ月先生が内省なさる部分である。孫引きとなる。
新憲法が、句読点つきの平がな口語体で新聞に発表され、その際、戦前の詔勅のスタイルを当然としていた三ヶ月先生は、目からうろこの落ちる思いだったという。
白石先生は、日本の法学教育で、法令の条文を扱うための約束事を教える構えが十分でないとして、条文の読み方や扱い方を言語化していった。
白石先生の文章への取り組みは実践的であり、『独禁法講義』について、ある編集者が「文意が1通りに定まるように書かれており、どこが重要な点であるのかがはっきりわかる」という高評価し、『法律文章読本』に繋がったという。
田村善之先生は、「ヴ」も使い、縦横無尽に新しい地図の区分をネーミングしていかれる。比較的覚えやすく意味もとりやすいネーミングで、思考の生産性を高めてくださっている。そして今回、どのような判例批評が良いのか、詳しく解説してくださった。
法学も、例えば法律文章を白石先生から、判例評釈を田村先生から学ぶことができる。
東洋君主的な教科書や指導から、見よう見まねにわからないまま学習するのではなく、優れた教科書や論文、講義から学ぶことができるようになっている。暗黙知なことをそのままやり過ごしてきた、自分のような世代も、改めて新しい教科書を開いてみたり、北大サマーセミナーに参加したりすることで、自分自身の暗黙知をより解像度高く形式知にしていくことができる。
田村善之先生が、講義中に特に参考文献ですよと指摘した論文について、下記に列挙し、PDFファイルはリンクを付した。
参考文献
(1) 田村善之「判例評釈の手法-「判民型」判例評釈の意義とその効用-」法曹時報74巻5号961~1031頁,2022.5[2022a]
(PDF公開発見できず)
https://cir.nii.ac.jp/crid/1520292182370148224
徹底判民型の成果は、応用美術について第26頁、パブリシティ権の侵害について第27頁、結合商標について第45頁、著作権法14条による著作者の推定の覆滅について第80頁など。
(2) 田村善之「音楽教室における生徒の演奏の行為主体が音楽教室ではないとした最高裁判決について」知的財産法政策学研究68巻252~284頁,2023.11
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/90479/1/68_07_Tamura.pdf
3種類の書き方が混在
徹底判民型:「事案と結論との関係のみに着目して、本件と関わり合いが深い演奏の主体性に関する従前の裁判例を整理」(270頁)
民商型:p272
通常判民型:p280
(3) 徹底判民型の判例評釈
[判批] 法学協会雑誌106巻3号483~506頁,1989年, (1)の注86
https://lex.juris.hokudai.ac.jp/coe/articles/tamura/casenote89a.pdf
田村先生による徹底判民型での唯一の判例批評。米倉明先生の構成を参照されたそうです。
(4) 応用美術について
田村善之「タコの形状を模した滑り台の著作物性を否定した知財高裁判決について」知的財産法政策学研究66号9~67頁,2022.11 [2022b],(1)の注53
https://www.juris.hokudai.ac.jp/riilp/wp-content/uploads/2023/01/dc6f0da64df2a428dad29a5662a59e7d.pdf
(5) 著作権法14条による著作者の推定の覆滅について
表洋輔「判例研究 著作者死後の改変行為に対する人格的利益の保護(1)「駒込大観音」事件[知財高裁平成22.3.25判決]」知的財産法政策学研究41号300~302頁,2013年,(1)の注81
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/52385/3/41_08.pdf
(6) 田村善之=清水紀子『特許法講義』弘文堂,2024.4
https://www.koubundou.co.jp/book/b10046344.html
本書は、徹底判民型の研究成果であり、具体例の取り上げ方が素晴らしい。本書で具体的な事例の説明が始まったら、「徹底判民型」か、その発想による理論と具体の接続の解説であり、具体例を通した理論の理解が求められる。本書を通じて、具体と抽象を行き来することで、実践的な概念操作ができるようになる。