愛媛新聞「四季録」08 道後鉄道の路線跡と夏目漱石『坊っちゃん』
夏目漱石の小説『坊っちゃん』(明治39)には「汽車」がよく登場する。有名なのは、船で三津浜(と思われる港)に着いた坊ちゃんが汽車に乗る場面だろう。
他にも宿直の坊ちゃんが学校を抜けだして道後温泉に行き、帰りは汽車に乗ったり、また他の箇所でも手拭いをぶらさげて道後まで汽車で行ったりしている。
現代の松山で汽笛を響かせて走る「坊っちゃん列車」はこの「マツチ箱のやうな汽車」を模したもので、レトロな雰囲気を醸しだしている(現物は梅津寺に保存)。
ただ、今も「坊っちゃん列車」が市街を走っているため漱石の時代と現在の経路が変わらないように感じがちだが、昔の地図や文献を見ると変更した路線が多い。
そもそも、漱石が松山に住んでいた頃に道後方面へ向かう路線は伊予鉄道でなく、道後鉄道という会社の経営だった。明治二八年に開業、汽車は松山一番町―道後間と道後―三津口(古町駅)間を走ったが、古地図を見ると今の市電と異なる路線だったらしい。
松山一番町―道後間は現在のいよてつ会館に駅があり、今の路線より東を北上して各町内を横切るルートだった。また道後―三津口間は今の樋又通り付近を走っており、現在の路線より北だったことがうかがえる。
道後鉄道は僅か五年で伊予鉄道に合併となり、以後は伊予鉄経営となった。そして大正~昭和にかけて両経路とも変更され、現在の路線とほぼ重なるルートになったが、「マツチ箱のやうな汽車」が走った二経路は消滅し、跡地の多くは道路や住宅などになっている。
先日、明治時代の一番町―道後間の路線跡を歩いてみた。現在の持田町や道後各町の道路が経路とほぼ重なるため、散歩にちょうどよい。
いよてつ会館から出発し、勝山町交差点から持田町を歩くと道沿いに民家や売立地、教会や気象台、病院などがある。閑静な住宅街という感じで、もちろん路線の面影はない。
散歩の途中、北持田町の道の交差点で西の空を見上げると松山城が見えた。漱石も車窓から城を眺めたのだろうか。そんなことを考えると、漱石が少し身近に感じられた。
初出:「愛媛新聞」2013.5.20、「四季録 道後鉄道の路線跡」
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上記を愛媛新聞に発表後、拙著『愛媛 文学の面影』中予編(創風社出版、2022)に大幅に増補して収録した。
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【俳句関係の書籍】
これまで刊行した近現代俳句関連の著書です。
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